ささやかな終末

小説がすきです。

少年と少女とまちがいを巡る物語 ~『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』『サクラダリセット』論~

本記事は渡航やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』と河野裕サクラダリセット』の関係性を考えるものである。二作品の重大なネタバレや重大な箇所の引用を含むため、未読者は注意されたい。

 

渡航やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』(ガガガ文庫、2011~2019)(以下『俺ガイル』と表記する)で比企谷八幡雪ノ下雪乃由比ヶ浜結衣が所属する部活動は「奉仕部」と命名されている。一方で、『サクラダリセット』(角川スニーカー文庫、2009~2012、のちに加筆修正版が角川文庫から刊行)(以下『サクラダ』と表記する)の浅井ケイと春埼美空が籍を置いている団体は「奉仕クラブ」である。この近似は長らく、意味のないただの偶然として捉えられていたが、『俺ガイル』最終14巻が発売されると同時に意味ある重大な一致へと変貌した。

 

『俺ガイル』14巻で、平塚静比企谷八幡にこう語りかける。

 

「共感と馴れ合いと好奇心と哀れみと尊敬と嫉妬と、それ以外の感情を一人の女の子に抱けたなら、それはきっと、好きってだけじゃ足りない」(中略)「だから、別れたり、離れたりできなくて、距離が開いても時間が経っても惹かれ合う……。それは、本物と呼べるかもしれない」(P505)

 

この言葉は、『サクラダ』5巻の以下の箇所を意識して書かれたものである、と断言していいだろう。

 

「でも、その感情は本物かしら? もしかしたら、すべて勘違いかもしれない。共感と、馴れ合いと、好奇心と、哀れみと、尊敬と、嫉妬と。そういう感情が重なって、錯覚しているだけかもしれない」(中略)「それだけの感情を、ひとりの女の子に対して抱けたなら、それはつまり好きだということだよ」(引用した箇所にはスニーカー文庫版と角川文庫版で加筆修正なし。紙書籍が手元になく電子版で確認したためページ数は不明)

 

ここで時を10年遡る。渡航のデビュー作『あやかしがたり』の発売は2009年5月18日、河野裕のデビュー作『サクラダリセット CAT, GHOST and REVOLUTION SUNDAY』の発売は2009年6月1日であるので、2人はデビューしたレーベルこそ異なるもののライトノベル業界全体で見ると同期と言って差し支えないだろう。ここで想像してみる。渡航が自分のデビュー作が並んでいるか書店にチェックしに行くと、あの角川スニーカー文庫(この時のスニーカー文庫ハルヒのアニメ2期が絶賛放送中で波に乗りまくっている)から「乙一、絶賛」という帯の巻かれた新人のライトノベルが平台に並んでいる。ここで渡航Twitterで「乙一」と検索してみると、こんな興味深いツイートに出会った。

 

まぁぼくはあれですよ、大学生当時「よし、オラ作家になる!いっちょやってみっか!」って思ったときに乙一さんの『夏と花火と私の死体』読みましたからね。それ書いたとき、乙一さん16歳ですよ?「ああ、俺に特別なとこなんて何もないんだ、作家目指す俺かっこいいとか思ってた俺死ねよ」って思った
午後6:24 · 2011年2月22日

 

さて、渡航(デビュー1か月目、社会人1年目)が書店で『サクラダリセット』を見つけたとき、どう感じたか。購入して読んだ、と断言することはできないが、少なくともその時点で認識し、意識したはずである。自分が打ちのめされた乙一に絶賛されているこいつは何者だ、と。


そして『あやかしがたり』は作者自身が『俺ガイル』大ヒット後に散々ネタとして擦るほど売れず、2010年11月に最終4巻が発売されて完結した。ふたたび渡航Twitterを確認してみる。

 

(とある書店員へのリプライ)ぼくの「あやかしがたり」は載っていませんが「このラノ2011」好評発売中です!そして、「あやかしがたり4」入荷ありがとうございます!宜しくお願いします!
午後3:59 · 2010年11月18日

 

そんなわけで「このラノ」流し読み終了。仕事します。……いや仕事してたよ?正しくはいやいや仕事してた
午後4:46 · 2010年11月18日

 

そして「このライトノベルがすごい!2011」で20位台に入賞したのが河野裕サクラダリセット』である。私が渡航なら、河野裕に何の関心も抱かないことは難しい。兼業作家にもかかわらず新作ラノベをチェックし続けている勉強熱心な渡航のことである、その当時3巻まで発売されていた『サクラダ』を、手に取ったのではないだろうか?

 

この4か月後、渡航が刊行した新作『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』は好評を博し、大ヒットした。2010年代のライトノベルを語るとき、この作品を無視することは誰にもできないくらいに、売れた。2012年11月に発表された「このライトノベルがすごい!2013」では、トップ10入りし6位入賞を果たしている。投票時に発売されていたのは5巻まで、そしてこの11月にあの6巻が刊行された。渡航の地位は盤石のものとなったのである。

 

ちなみに「このラノ2013」で9位にランクインしたのは、2012年4月に完結した河野裕サクラダリセット』である。こちらも初のトップ10入りであった。2作家間に因縁を感じざるをえないのは私だけだろうか。

 

なお、この後、河野裕は『つれづれ、北野坂探偵舎』を角川文庫から刊行することで一般文芸(ライト文芸)に主戦場を移した。スニーカー文庫からは河端ジュン一との共著で『ウォーター&ビスケットのテーマ』という作品を2017年に発表したものの、2巻であえなく刊行がストップ。並行して書き進めていた階段島シリーズ完結後、新潮文庫nexにタイトルを変えて移籍された。2023年現在も継続中の『さよならの言い方なんて知らない。』(架見崎シリーズ)のことである。

 

その間、渡航は大量の仕事に忙殺されていた。『俺ガイル』を書き進めねばならない。しかしメディアミックス関連のこともやらなければいけない。もちろん会社は辞めていない。小学館ライトノベル大賞の審査員もやった(屋久ユウキが受賞した年である)。仲良しのさがら総橘公司とプロジェクト・クオリディアをやった。ガーリッシュナンバーもやった。他にもいろいろあると思う。初期はあれだけ順調だった『俺ガイル』の刊行が遅れ始め、2016年には完全にストップしてしまったのも頷ける仕事量である。

 

そして2019年11月。『俺ガイル』を完結させた。素晴らしい最終巻だったが、正直に告白すると私は、三箇所くらいの場面しか覚えていない。なぜか。本記事序盤で引用した通りの505ページに爆弾があったからである。そしてその爆弾が、私が今こうしてこの文章を書いている理由である。

 

『サクラダ』は、世界を3日分巻き戻せる能力「リセット」を持つがリセット前の世界の記憶も自分が「リセット」を使ったということも忘れてしまう少女と、何も忘れない能力を持ち世界で唯一「リセット」前の世界のことを覚えていられる少年が、ワンセットで行動して世界を変えていく、という内容である。少年と少女は能力を利用するためにずっと2年以上そばにいて、2人の関係性はこじれてきてしまっていた。その解決方法が、「何かのため」でなくても側にいてよいのだ、と規定するための「恋」であった。だから浅井ケイは「好きだということだよ」とはっきり告げたのである。

 

一方、『俺ガイル』は、「あったことをなかったことにすることはできない」という地点から出発している。雪ノ下雪乃由比ヶ浜結衣比企谷八幡。3人の関係性が始まったのは、「結衣の飼っている犬が雪乃の乗っている車に轢かれそうになったとき八幡が身を挺して助けた」ときである。これは『サクラダ』1巻が「交通事故に遭って死んでしまった猫を助けるために世界を巻き戻す」話であることと対応している。ここで『俺ガイル』6巻、文化祭が終わった後、雪乃と八幡が奉仕部の部室で話す場面を引用したい。屈指の名シーン「でも、今はあなたを知っている」を受けての八幡の語りである。

 

誤解は解けない。人生はいつだって取り返しがつかない、間違えた答えはきっとそのまま。だから、飽きもせずに問い直すんだ。新しい、正しい答えを知るために。(P352)

 

さらに最終巻でも、平塚静に対して比企谷八幡はこう答える。

 

「どうですかね。わからないですけど」(中略)自分たちの選択が正しいかどうかは、きっと、ずっとわからない。今もまだまちがえているんじゃないかと、そんなことを思う。けれど、他の誰かに、たった一つの正解を突きつけられても、俺はそれを認めることなんかしないだろう。「だから、ずっと、疑い続けます。たぶん、俺もあいつも、そう簡単には信じないから」(P506)

 

浅井ケイは『サクラダリセット』という物語のヒーローで、目的のためならルールを破るほどのまっすぐさは怪物とも称される。浅井ケイは悩まないわけではない。ただ、一度した選択を、「あれでよかったのか」と悩み直すことはしない。彼は選択したその後の世界で、さらに最善を目指すために振り返らず進み続ける。浅井ケイは能力によって、自分が決断に至った理由と、実現のために何をしたかを、決して忘れることはない。春埼美空と相麻菫はイレギュラーな方法(特定の能力)を使って彼の行為の一部を知ることができるが、すべてではない。基本的には彼の行動を知っているのは彼自身のみである。


対して比企谷八幡は『俺ガイル』において、選択した後もその決断を、「飽きもせずに問い直」し「疑い続け」る。それが比企谷八幡のパーソナリティーであり、浅井ケイとは対極に位置するものである。比企谷八幡は『俺ガイル』において(総武高校や2年F組の中で)意識的に悪役じみた振る舞いをする(これは6~8巻で顕著である)。彼は誰もが知るヒーローにはならないが、彼が何をなしたのか、雪ノ下雪乃由比ヶ浜結衣は知っている。一色いろは比企谷小町平塚静もその輪に加わることがある。後に奉仕部関係者になる全員である。偶然ではないだろう。

 

そんな比企谷八幡に対し、雪ノ下雪乃はこう告げる。

「あなたが好きよ。比企谷くん」(P512)


比企谷八幡の懊悩とは裏腹に、なんて「シンプル」な告白台詞だろう。この告白を、渡航の「シンプルさ」=河野裕への希求と捉えることはできるだろうか。半ばこじつけのようになってきたが、ここはひとつ考えてみたい。『サクラダ』6巻における浅井ケイの告白台詞は、決してシンプルではなかった。「好き」という単語は含まれない、彼女にだけ伝わるような長い言葉だった。だから雪乃の告白は、河野裕とは無関係の産物だ。彼女の想いは絶対で、この先変わることはない。確信をもって告げられた「好き」は、比企谷八幡から雪ノ下雪乃への憧憬に繋がっていくに違いない。


最後に。『サクラダ』は2016年から2017年にかけて角川文庫化された。角川文庫版では、スニーカー文庫版で英語だったサブタイトルが日本語に直されているのだが、最終7巻の「BOY, GIRL and the STORY of SAGRADA」を、河野裕はこう訳した。

 

「少年と少女と正しさを巡る物語」

 

正しさを巡る物語としての『サクラダ』と、まちがいを巡る物語としての『俺ガイル』。しかし正しさとまちがいは、常に表裏一体である。「正しいこと」を考えるならば「何がまちがっているのか」を考えるにちがいないし、「まちがい」を考えるならば「正しいことは何なのか」考えざるをえないのだろう。2作品はこの観点において、同じテーマを語り、異なる結論を出した作品であると言えるのかもしれない。