ささやかな終末

小説がすきです。

杉井光『楽園ノイズ』感想

 

はじめに

 杉井光『楽園ノイズ』を読んだ。傑作だった。

 

 この記事は『楽園ノイズ』を読んだ感想文だが、書籍情報のあらすじに載っている以上のネタバレは一切含んでいない。いつかネタバレマシマシの記事も書きたいなと思っている(そのときはもちろん、きちんと注意書きを付ける)。今回は紹介文に近いものと考えて読んでもらえれば幸いだ。

 

楽園ノイズ (電撃文庫)

楽園ノイズ (電撃文庫)

  • 作者:杉井 光
  • 発売日: 2020/05/09
  • メディア: 文庫

 

あらすじと手に取ったきっかけ

 本作は、再生回数を伸ばすために女装して演奏動画をネットにアップロードした主人公・村瀬真琴が、謎のネットミュージシャンとして話題になった結果、通っている高校の音楽教師・華園美沙緒先生に正体を見破られてしまったところから始まる。美沙緒先生に雑用を言いつけられたり授業の手伝いをさせられたりする中で、真琴は3人の同級生と出会う。1人目はかつて神童と呼ばれていたひねたピアニスト・冴島凜子。2人目は華道の家元の母を持つお嬢様ドラマー、百合坂詩月。3人目は不登校児でライブスタジオに棲みつき様々なバンドのサポートに入っているオールラウンダーの宮藤朱音。それまでの真琴にとって音楽は部屋に閉じこもって1人きりで楽しむものだった。しかし、この出会いによって彼の日常と音楽は大きく変わっていくことになる。

 

 『楽園ノイズ』を読むことは、発売予定とあらすじを目にした瞬間に決まっていた。なぜなら、あの杉井光が満を持して世に贈り出す青春音楽ストーリーだからだ。私は、同じ作者の『さよならピアノソナタ』というシリーズを、好きなライトノベルは? と聞かれると真っ先に挙げるくらい愛している。『さよならピアノソナタ』は、恋と革命と音楽が織り成す、不器用で温かくて切ない青春ストーリーだ。どこもかしこも美しくて、忘れられないし、今でもよく手に取る。だから、彼が10年以上の時を経て書いた新たなバンドものである『楽園ノイズ』の発売を、心から楽しみにしていた。

 

 発売日を待つ間、それほどのものでもないのではないか、想像することもあった。あの『さよならピアノソナタ』と同等におもしろいか、それ以上のものなんて読めるのだろうか、と。けれど、不安が頭をもたげるたび、囁きかけてくる声があった。超えられる自信があるから、ペンを執ったに決まっているじゃないか。それに、おまえは杉井光のファンだろう? ――その通りだ。自信うんぬんは勝手な想像だ。しかし、私は彼がおもしろい小説を書くことを知っている。憂いはすぐに吹き飛ばされた。

 

 一刻も早く読みたかったので、ひとまず電子書籍で購入した。そして読み終わった今、私のまぶたの裏側には楽園が燦然と輝いている。残像が消えることは一生ないだろう。

 

ナオたちは今どうしているかな、とよく考えます。

 

作品に合わせて文体を変えるということ

 読み始めてすぐ、「あ、杉井先生が本気を出した」と思った。『楽園ノイズ』の試し読みができるようになった日のことだ。私はいそいそとページにアクセスし、読み始めた。1文目から惹きつけられた。ここに少し冒頭を引用してみる。

 

 ピアノの白鍵は、純白ではなくかすかに黄みを帯びている。あれは骨の色なのだという。とある高名なピアニストがそう書いているのを読んだことがある。

 骨をじかに指で叩いているのだから、弾けば自分も痛いしピアノも痛い。

 彼はその後に、痛くないピアノに価値などない――と続けていて、つまり悪い意味の話ではなかったのだけれど、僕の記憶には痛いという言葉だけが突き刺さって残った。

 だから、りんのピアノをはじめて聴いたとき、まず思い出したのもその言葉だった。

楽園ノイズ | 書籍情報 | 電撃文庫・電撃の新文芸公式サイトの試し読みページより)

 

 杉井光の書く小説の最大の武器は文章の切ない美しさだ、と私は考えている。いつもは、クライマックスやラストといった重要な箇所で良さが爆発する。しかし、本作では冒頭から「ついて来いよ!」と言わんばかりに炸裂している。何せ、状況の説明や景色の描写や誰かとの会話ではなく、ピアノの鍵盤の話から始めているのだ。本気中の本気であるように感じた。

 

 それは2019年12月に刊行された『生徒会探偵キリカS1』の文体とは違った。『~S1』でも要所要所で美しい一文に出会えるものの、あくまで文章はストーリーやキャラクターを引き立たせるためのものに留まっていた。わかりやすく端正な文章が書けることは、素晴らしいスキルである。しかしながら、私は歯がゆかった。杉井光のセンスが遺憾なく発揮された文章をどこかで読めますように、と願っていた。だって杉井光はおもしろいストーリーと魅力的なキャラクターを殺さないまま感情を揺さぶる美しい文章で小説を書ける作家だからだ。

 

 そして今日、『楽園ノイズ』を通読して、私は悟った。作品によって意図的に書き分けているのだ、と。『生徒会探偵キリカ』は、『楽園ノイズ』と同じ学園ものではあるが、トーンがまるっきり違う。『~キリカ』は札束とセクハラが飛び交うテンション高めのラブコメミステリエンターテインメントなのに対し、この『楽園ノイズ』は音楽とセクハラが聴こえる、ギャグ会話の応酬と演奏シーン以外はテンション普通の青春ストーリーである。シリーズが変われば、トーンが違い、文体が違う。『~キリカ』のあのおもしろさは、『楽園ノイズ』の文体とはマッチしないのだろう。普通のことなのかもしれないが、意識したことはなかった。

 

 文章にこれほど圧倒された小説は『楽園ノイズ』がひさしぶりだった。ヒロインとの演奏シーンでは毎回涙が零れてきた。まだクライマックスでもないのになぜ泣いているのだろう、と自問自答して、途中でようやく、文章の麗しさに泣かされているのだとわかった。じわじわと良さが浸透してくるというよりは、読んだ瞬間にガツンと衝撃が走るような、きらびやかでいて静かで切ないような。それでいて読みやすく、理解に困らない。演奏シーンでは、飛び散る汗が見え、聴こえないはずの音が聴こえてくるようだった。

 

 読書をしていると、年に数回、求めていた小説に出会えることがある。自分が何を求めているのか、明確に言葉で言い表すことはできない。ただ、その小説を読んでいると、全身がよろこびに満たされて、頭の中を文章が駆け巡り、心が熱く震え、「出会えた!」と快哉を叫びたくなる。最後まで読まなくても、何となくわかる。『楽園ノイズ』では、3章を読んでいる途中に、「出会った!」と確信した。とある演奏シーンを読みながらのことだ。文章に気圧されて、くらくらした。それは幸福な確信だった。

 

生徒会探偵キリカS1 (講談社ラノベ文庫)

生徒会探偵キリカS1 (講談社ラノベ文庫)

  • 作者:杉井 光
  • 発売日: 2019/12/02
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

シーズン2も最後まで駆け抜けてくれますように!

 

 

おわりに

 ネタバレをしない紹介文にすると決めたので、ストーリーやキャラクターについては詳しく書かない。おもしろい作品ほど何も知らずに読んでほしくなってしまう。ちなみに、「カクヨム」でも途中まで試し読みができる。

 

kakuyomu.jp

 

 『楽園ノイズ』は、3つの専門店で特典SSが付くようなのだが、それぞれ内容が違うそうで、悩んでいる。全部読みたいのは山々だが、さて。ネタバレありの感想記事をアップする頃には、どれかを手に入れていたいものだ。