ささやかな終末

小説がすきです。

『春期限定いちごタルト事件』『夏期限定トロピカルパフェ事件』『秋期限定栗きんとん事件』再読感想、そして冬がくる前に刻みたい現在地

『冬期限定ボンボンショコラ事件』の刊行に向けて、〈小市民〉シリーズの長編三作を再読した。どれも以前読んだときとは異なる味わいがあり、様々な点に気づかされた。数日後の私はもう、小鳩くんと小佐内さんの冬の物語を知ってしまっている。つまり秋までしか知らない段階で感想を書けるのは今だけなのだ。このことに気づいたとき、私は居ても立っても居られない気持ちになった。冬の感想は書く、冬を読んで改めて春夏秋を振り返る感想もおそらくそのときに記す。だからまずは、冬期未読の私が三作を読んで感じたこと、おもったことを、ここに刻んでおきたい。自分の現在地を忘れないように。

 

〈小市民〉シリーズアニメ化発表直後に書いた文章はこちら。

happyend-prologue.hatenablog.com

この記事とは異なり、本記事は『春期限定いちごタルト事件』『夏期限定トロピカルパフェ事件』『秋期限定栗きんとん事件』のネタバレを多分に含む。結末の展開が書いてあれば、重要な台詞も引用されているほか、各作品のミステリ部分のネタバレも、やはり避けることはできなかった。シリーズ未読者はブラウザバックして書店に走り、/ネット書店で注文し、/電子書籍で購入し、読了後に先へ進むことを強くおすすめする。

 

 

 

 

 

 

未読者はもういませんね?

 

 

 

シリーズ第一長編『春期限定いちごタルト事件』(2004)

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連作短編集の向きが強いだろうか。「羊の着ぐるみ」「For your eyes only」「おいしいココアの作り方」「はらふくるるわざ」「狐狼の心」の5編をプロローグとエピローグで挟む形になっているが、夏期や秋期とは異なり章立てはされていない。入学早々隠された女子生徒のポシェットの謎、美術室に何年も置かれている奇妙な絵の謎、作れるはずのなかったココアの謎、割れた花瓶の謎(小佐内さんの胃袋のサイズの謎も含む)、そしてメインの謎。どれもすでに答えを熟知して読んでいるので細かいところに目が行く。全編を通して推理の筋道が通るようかなり気を配って書かれているのだが、それを自然に見えるようにやってのけているのがすごい。

 

「羊の着ぐるみ」では昇降口で待っていた小佐内さんが意図せずして最後のピースをはめるところが好きだ。小鳩くんがポシェットを捜索するところで「One more time, One more chance」のパロディめいた文章が出てくることに気づき、しばらく二人の別離エンドしか考えられなくなってしまった。「For your eyes only」では小佐内さんと小鳩くんの冒頭のやり取りが何を意味しているのか初読時はまったく分からなかったことを思い出す。絵の謎については、アニメ化されたらさっと気づくひともいそう。「おいしいココアの作り方」は小鳩くんが覚醒していく推理パートの疾走感がたまらない。場をつなごうとけなげな小佐内さんがかわいかった。謎が解けたときに健吾の性格が浮かび上がり、しかも納得もできるのが何度読んでもおもしろい。「はらふくるるわざ」はごく短いなかに小佐内さんのケーキの食べっぷりのよさと小鳩くんの頭のキレのよさが感じられ完成度の高さに驚かされる。「狐狼の心」では健吾の人間としての気持ちよさ、素直さ、まっすぐさにノックアウトされた。初読時は小佐内さんの最後の嘘の意味すら分からなくて健吾と一緒に混乱していたなあと懐かしくなる。なお、今回読み直すまで15年近く「サカガミ」のことを「ササガミ」と勘違いしていたのに気づかされた。このひとほんとにだいじょうぶかな、と自分のことが心配になった瞬間であった。

 

先の記事では二人の関係性の絶妙さがよいと熱弁した私だが、改めて読み返すとなかなかどうして距離が近くて戸惑った。こんなに仲良しだったかしら。とはいえ春期はまだ顔見せの色が濃く、小佐内さんのこともよく分からない。それでもとてもおもしろい青春ミステリであることには変わりなく、いつ読んでも続きもぜひ読みたいと思わされる、非常にかわいらしくてウェルメイドな一作目である。ちなみに私には、初読時、春期を読んですぐ夏期を買いに行ったら夏期が売っていなくて、せめてと買って帰ってきた秋期の冒頭を我慢しきれずに読んでしまったという前科がある。それくらい当時から、よく分からない部分も多いなりに魅力を感じていたということだろう。

 

シリーズ第二長編『夏期限定トロピカルパフェ事件』(2006)

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もともとオールタイムベスト級の一冊に入ると記憶していたが、記憶以上の強度を持つ作品で痺れた。二人でいることに互いが慣れ甘えが生じることで当初の目的がほぼ無効化されてしまう。それでも側にいる理由はあると言えない小鳩くんがもどかしい。しかしそれは小佐内さんとて同じこと。最後の言葉を、彼女はどんなトーンで口にしたのだろう? アニメでの演技が楽しみになると共に、いま自分の耳に聴こえている声の響きを繋ぎ留めておきたくもなった。

 

「シャルロットだけはぼくのもの」は人気の高い短編で私も大好きだが、論理も内容もこんなに濃密な話だったのかと再読して驚かされた。いつかシャルロットを食べてみたい。いまだにこのシャルロットの想像がうまくついていないのでアニメで映像化されるのを楽しみにしている。「シェイク・ハーフ」は春期の絵の謎と同様にピンと来るひとは来そう。比類のない神々しいような瞬間、は有栖川有栖の『白い兎が逃げる』という作品集に同タイトルの火村ものの短編が収録されており、そのときに「エラリー・クイーンだったのか!」と知った覚えがある。「激辛大盛」は、「箱の中の欠落」(『いまさら翼といわれても』所収)でも奉太郎と里志を見ながら思った記憶があるが、やはり高校生男子二人の食事をしながらの会話を書かせたら米澤穂信の右に出るものはいない。謎があるわけではない小休止回だがお気に入りの話。「おいで、キャンディーをあげる」は小佐内さんの真意を知って読むと小鳩くんが道化に見える切なさよ。しかし小佐内さんからの小鳩くんへの信頼は本物だったから、だから……。それにしてもこれもすっきりしていて余分なところがまったくない章だ。そして終章「スイート・メモリー」の素晴らしさと言ったらもう筆舌に尽くしがたい。推理、自白、糾弾、別れ話。やがて食べかけのパフェと小鳩くんだけが残される。なんて美しい締めなのだろう。どうやったらこんなものが書けるのだろう。何度目かの再読だったが、またしてもしばらく余韻から抜け出せなかった。

 

ぼくたちは「小市民」を目指している。そんなことを言葉にしてしまうぐらいなので、もちろんぼくたちは自意識過剰だ。小さな種を大きく膨らませて、これは大変何とかしないとと慌ててみせる。針小棒大、どうにも地に足がついていないそれは、まるで綿菓子のよう。(『夏期限定トロピカルパフェ事件』P22~P23)

 

と小鳩くんは独白しているが、本シリーズは小佐内さんと小鳩くんが過剰になりがちな自意識とどう向き合っていくかの物語と言えるようにも思う。過去の失敗のせいで周りからどう見られているか気になってしまう。「小市民」なんてスローガンを掲げて無理やり自分を押し込めても我慢が効かずにまた失敗してしまう。変わりたいのに変われないジレンマ。それはやはり青春の物語で、折り合いがついたときに二人は大人になるのかもしれない。そんなことをつらつらと考えさせられた。

 

この『夏期限定トロピカルパフェ事件』は思いのほか分厚くない。一ミリの無駄もない小説だからだろう。再読する前は、アニメをやるのだからアニメから入るひとがいてもいいと思っていたが、今回再読して、小説が好きなひとにはぜひ小説で読んでこの衝撃をまっさらな状態で味わってほしいなと思い直した。終章の小佐内さんと小鳩くんの一進一退の攻防、その小説ならではの張り詰めた空気に酔い痴れてほしい。そしてもちろん、アニメでどういった演出・表現がなされるのか、とても楽しみだ。

 

シリーズ長編第三作『秋期限定栗きんとん事件』(2009)

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上下巻からなるシリーズ最長の長編だが、わりと淡々と進んでいき、外連味はない。しかしとにかく読みやすいし読ませる。二組のカップルが誕生し、小鳩くんのひっそりとした知恵試しや瓜野くんの奮闘が描かれ、徐々に小鳩くんは小佐内さんが連続放火に関わっているのではないかと疑い始める。氷谷くんと小佐内さんの心理を知って読んでいるので、「結構きわどいこと言ってる⁉」と何度も冷や冷やした。

 

今回気づいたことは、「でもカラメリゼを割る瞬間って、いつも禁断の喜びを連想するの」(P143)という小佐内さんの言葉の、物語に対して持つ意味だ。その前段階で瓜野くんは小佐内さんとの間にある距離を「透明で薄いけれど破れない殻のようなもの」と表現し、「無理強いするとぱりんと割れて」しまいそうで恋人らしい行為に踏み出せないと零しているが、どうも瓜野くんのこの捉え方は正しかったらしいとのちのち分かる。だからこそキスしようとしたときに殻のようなカラメリゼは割れ、小佐内さんの禁断の喜び=復讐が解禁されてしまうのである。マロングラッセと栗きんとんのたとえは秀逸だったが、このさりげない小佐内さんの自白もなかなかハッとさせられた。

 

いつか叩きつぶされるべき傲慢とも呼べる自意識を、それでも分かってくれるひとがそばにいたなら、きっと重要な瞬間にグッと我慢することができる。だから一緒にいよう、と。小佐内さんと小鳩くんが一年離れたのちに出した結論は、昔読んだときにはひかえめな甘さの、しかしたしかなハッピーエンドに読めた。しかし今になって、できる限り曇りなき目で向き合おうとすると(15年近くの思い入れが邪魔して非常に困難なことではあるのだが)、この後やはり二人の自意識は完膚なきまでに叩きつぶされるべきなのかもしれないという気がしてくる。そのための秋のこの結末なのではないか、と。まだ半年残っていること、の意味がそこにあるのだとすれば、小佐内・小鳩両名の成長譚として冬の物語は書かれるだろう。そのとき二人は隣に居続けたいと感じるのか、あるいは過去の自分と完璧に決別するために別れを選ぶのか。とても気になるところである。

 

自分(たち)は特別ではないと受け入れること、には何が必要なのだろう。「わかってくれるひとがそばにいれば充分」は一つの真理ではあると思うけれど、たぶんまだ足りないものがある。時間が解決してくれる? きっとそれでは間に合わないものもある。自分で自分を受け入れ、信じ、失敗した過去をも許せるようなきっかけが、より早い段階で訪れればいい。米澤穂信は冬の物語で小佐内ゆきと小鳩常悟朗にその機会を与えるのではないか。今の私にはそんな予感がしている。

 

記事を書いているうちに『冬期限定ボンボンショコラ事件』が東京近郊で早期発売されてしまい、すでに読んだひとも出てきている中、予感を記すべきかは大いに迷ったが、自分の現在地を忘れないように、ここに刻んでおく。数年後、数十年後の私はきっと、これを読んで懐かしく思い出に浸るにちがいない。

 

今は春の終わり。いよいよ待ちに待った冬がくる。

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