ささやかな終末

小説がすきです。

奈須きのこ『空の境界』初読感想文、あるいはゼロ年代に対する短い戯言

奈須きのこ空の境界』を読んだ。傑作だった。

 

西尾維新は10年来のファンなのに、奈須きのこの小説を読んだのはこれが初めてだった。本作を読んで彼が「ぼくらの愛したゼロ年代」の潮流にいる小説家であると理解し、私が受けた衝撃は、自分でも計り知れない大きさだ。なぜこれまで『空の境界』を読まなかったのだろう。10年前、せめて5年前に出会いたかった、と強く後悔した。

 

空の境界』を読んでいなかった理由はただ1つ、純然たるバトルファンジーであると勘違いしていたからだ。私の中の奈須きのこのイメージは「魔法が出てくる世界でのゲームのシナリオを書いているシナリオライター」であり、昨年『魔法使いの夜』をプレイしてからはよりその印象が強くなっていた。『魔法使いの夜』は、もちろん少年少女たちのひと言では言い表せない複雑で繊細な関係性を描いた物語であるとは感じていたのだけれど、初見の私はシナリオよりも凝りに凝った演出に目を奪われてしまったのである。奈須きのこの紡ぐ物語の魅力を完全に見誤ってしまっていたと言ってよい。

 

そもそも奈須きのこが小説家として世に出たことなんて、まるで意識していなかった。「どうもそうらしい」と知覚できたのが最近のこと。しかし私はファンタジーを読むことがあまり得意ではないため、いつか読もうと思いつつもつい後回しになっていた。そのいつかの機会は2023年2月にようやく訪れ、私は小説家・奈須きのこと相まみえたのである。

 

空の境界』はこんな話だった。殺人衝動を2つ目の人格の下に押し込めている高校生・両儀式と、式にうっかり魅了されてしまったお人よしの同級生・黒桐幹也。2人はさまざまな危険な厄介事(大抵命の危機に見舞われる)に巻き込まれながら困難に立ち向かっていく。途中では魔術師が大勢出てきて2人の人生をかき乱していくのだけれど、だからこそ、これはどこまでも2人のための物語であったのだと思っている。

 

空の境界』は時系列がバラバラで過去や現在に謎が多く、その謎が物語を牽引していく展開なのだが、とりわけ大きくて魅力的な謎はやはり両儀式に関するものであった。式が記憶喪失に陥る直前に何があったのか? 式はそもそも何者なのか? 最後にはすべての真相が明るみに出て、「『空の境界』とはこういった物語であったのか」と感じ入った。しかし最後まで読むと、今度は黒桐幹也のことを考えながら再読したくてたまらなくなる。ただのお人よしと呼ぶには違和感があった彼の行動を、もう一度追いかけてみたくなるのである。大変興味深い構成であった。

 

唯一の例外は大学を中退した黒桐幹也が働くことになる建築事務所の所長・蒼崎橙子であり、もう1人の主人公と言っても差し支えないほど印象的な働きを見せる。彼女は私がプレイした『魔法使いの夜』にも登場する。ビジュアルノベル魔法使いの夜』発売は2012年。講談社ノベルス版『空の境界』発表の2004年より前だが、小説版『魔法使いの夜』(未発表)は1996年の時点で書かれていたらしく、これはweb小説版『空の境界』が同人サークル「竹箒」のホームページに掲載される(1998年10月~)よりも以前のことである。また、蒼崎橙子が主要登場人物として登場するのは『空の境界』と『魔法使いの夜』のみであるが、他の作品でもその存在感は強いそうだ。

 

彼女に対する作者の思い入れの大きさは、『空の境界』を一読しただけでも十分に伝わってきた。とりわけ5章に当たる「矛盾螺旋」で明かされた彼女の狂気的な本質は、見るものすべてに常識を疑わせ心を揺さぶるような、衝撃的なものであったと思う。彼女はどうしてこうなったのか、そしてこの先どこへ向かっていくのか。それを知るために関連諸作品に触れ続けているファンも多いのではないかと推察する。かくいう私もその1人になりそうだ。

 

冒頭で私が「西尾維新は十年来のファンなのに」とこぼした理由は、『空の境界』と西尾維新戯言シリーズの間に共通性を感じ、比較することでシナジーが生まれるのではないかと感じたからに他ならない。つまり「戯言シリーズが好きなら『空の境界』を、『空の境界』が好きなら戯言シリーズを読んでみると気に入るかもしれない!」ということである。たぶん私の知らない2000年代(ゼロ年代)には、そういう読書を皆が行っていたのではないだろうか。ゼロ年代が終わってからゼロ年代を知った読者は、いつもこういうところで歯がゆい思いをする。調べていくおもしろさはあるけれど、実際に知っている人にはいろいろと敵わない。平成2桁生まれの悲しいところである。

 

新本格という文脈だと、私の読書遍歴と照らし合わせれば、『空の境界』は有栖川有栖『朱色の研究』(1997年)を読んだ上で書かれたのではないかという気がしたり、キャラクター造形の面では森博嗣作品群における真賀田四季の影響をかなり感じたりした。本記事ではこれ以上の追究はしないが、そのうち詳しく考えてみたくはあった(情報求ム)。

 

私は常に「自分の感想を読んだ人がその本を読んでくれたらいいな」という気持ちで文章を書いているので、今回もネタバレをしないように留意した。「『空の境界』っておもしろそう!」と少しでも気になってくださったのであれば、未読の方はぜひ手に取ってみてほしい。既読の方に関しても、再読のきっかけになれば幸いである。