ささやかな終末

小説がすきです。

作者と結ぶ共犯関係 ~『捜査線上の夕映え』感想(ネタバレなし編)~

 この度、火村英生シリーズ最新作『捜査線上の夕映え』が刊行された。傑作だった。

 

 本記事は『捜査線上の夕映え』(以下『夕映え』と記載)のネタバレが含まれない感想である。『夕映え』未読の方には紹介文として捉えていただけるように、それでいて既読の方にもおもしろがっていただけるように、と意識しながら執筆した。その試みが成功しているかどうかは、きっと神とあなたのみぞ知るのだろう。

 

 火村シリーズと出会って、かれこれ六年が経つ。めでたくも今年で三十周年を迎えるシリーズなので、古くから知っているとは口幅ったくて言えないけれど、二〇一六年に半年かけて既刊二十三冊(『新装版 46番目の密室』から『鍵の掛かった男』まで)を読んで以来、それなりに長い時間、このシリーズのことを考えている。

 

 今ではシリーズ新作が掲載されている雑誌は必ず買って読むほど大好きで、だから今回の『夕映え』も実は、『別冊文藝春秋』という電子雑誌に連載されていたときにすべて読んでしまっていた。それでいて、内容を知っているから単行本にまとまるのが楽しみではない、ということは決してなく、いつ発売だろうか、どんな装丁になるのだろうか、あとがきはあるのだろうか、とそわそわしながら待ちわびていたのだから救いようがない。本格ミステリの王道を行きながらその中で様々なジャンルに果敢に挑戦していくバラエティー豊かさなおもしろさにも、犯罪学者の火村英生と推理作家の有栖川有栖の同窓生コンビが織り成すバディ感の妙にも、私はどうしようもなく虜になっているのである。

 

 さて、『夕映え』はこんな話だ。

 

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「臨床犯罪学者 火村英生シリーズ」誕生から30年! 最新長編は、圧倒的にエモーショナルな本格ミステリ

一見ありふれた殺人事件のはずだった。火村の登場で、この物語は「ファンタジー」となる。

大阪の場末のマンションの一室で、男が鈍器で殴り殺された。金銭の貸し借りや異性関係のトラブルで、容疑者が浮上するも……。

「俺が名探偵の役目を果たせるかどうか、今回は怪しい」
火村を追い詰めた、不気味なジョーカーの存在とは――。

コロナ禍を生きる火村と推理作家アリスが、ある場所で直面した夕景は、佳き日の終わりか、明日への希望か――。

 

 コアなシリーズ読者は、このタイトルを見て、火村シリーズ第五長編『朱色の研究』(以下『朱色』と記載)を連想せずにはいられないだろう。本シリーズの語り部である推理作家の有栖川有栖(以下アリスと表記。作者である有栖川有栖とは別人であり、キャラクターであることに注意されたし)が大阪は天王寺の自宅マンションの窓から不吉なまでに毒々しい色をした夕焼けを目撃したことから物語が始まる『朱色』は、実際に『夕映え』作中でも序盤でアリスから言及されている。

 

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過去のトラウマから毒々しいオレンジ色を恐怖する依頼者が推理作家・有栖川と犯罪社会学者・火村を訪れた

 

“2年前の未解決殺人事件を再調査してほしい”臨床犯罪学者・火村英生が、過去のトラウマから毒々しいオレンジ色を恐怖する教え子・貴島朱美から突然の依頼を受けたのは、一面を朱で染めた研究室の夕焼け時だった――。さっそく火村は友人で推理作家の有栖川有栖とともに当時の関係者から事情を聴取しようとするが、その矢先、火村宛に新たな殺人を示唆する様な電話が入った……。現代のホームズ&ワトソンが解き明かす本格ミステリの金字塔。

 

 古今東西、『朱色』を語るときにもっとも取り沙汰されてきたのは、その動機であろう。読書家が集まるサイトで『朱色』のページをちょっと覗けば、その二文字が入った感想がなんと多いことか! かく言う私も、他のミステリ部分や登場人物同士の対話から生まれる興趣を充分に楽しんだ上で、感想を書くならばやはりそこに言及せずにはいられない。それは様々なミステリの中でも一、二を争うくらい好きな動機だからなのだが、否定的な意見も散見される。なんなら火村シリーズの中でいちばん賛否両論ある動機だと言えるだろう。

 

 理由は分かる。『朱色』の犯人の根底には、とても常人には理解しがたい、割り切ることのできない心情が横たわっていた。それが吐露されたとき、私は驚愕しながらも納得し、ガラス細工が溶鉱炉の中で溶けていくような美しさを想ってただただ身を焦がしたものである。しかしながら、読者がミステリに求めるものによっては、こんな予測も共感も不可能な結末があってたまるか、と不満になりもするだろう。

 

 ところで『夕映え』も、実はそんな危うさを秘めた小説である。ミステリの核の部分において、激しく意見が分かれそうな、場合によっては眉を顰める人もいそうな。両者のミステリとしての在り方は、ひどく似ているように感じる。そして私の受け止め方もまた、どちらも近いところにある。二つともに賛であり、美しさを見出していて、大好きでもある。理由はいろいろあるけれど、著者・有栖川有栖の誠実な腐心を感じることができるから、と言えば既読者には伝わるだろうか?

 

 小説を楽しむことは、作者と共犯関係を結ぶことに似ている、と最近思う。作者は持てる力をすべて用いて、読者を自作の渦の中へと惹き込もうとする。であるならば読者のほうも、その作品に没頭していけるように、ある程度の心づもりをしておいたほうがいい。もちろん、なんの準備もなく読み始めてもかまわない。作者はそんな読者さえ夢中にさせなければいけないのだから。そして、有栖川有栖という作家は、読者のための土壌作りが非常に丁寧かつ巧みなのである。

 

 読者が作品に夢中になるためには、舞台設定を吞み込まなければいけない。それが現実的なものであれ非現実的なものであれ、腑に落ちなければ集中することは難しい。『朱色』も『夕映え』も、最後の最後に納得するために必要な前提が、少しだけ特殊だ。その特殊さを読者に理解してもらい、あわよくば共感してもらうために、有栖川有栖はこれでもかというほど筆を重ねる。物語を最後の最後まで書き込み、読者をどこまでも深く、自らが生み出した箱庭の奥深くへいざなおうとする。それは非常に誠実な腐心であると、私は考える。物語の深淵まで踏み込もうとした読者を、絶対に離しはしない力強さがあるのだ。残念ながら潜っていくことに失敗した読者が、賛否の否の側へ回るのではないだろうか。

 

 『夕映え』序章でアリスが特殊設定ミステリについて考察するのは、おそらく本作の性質と無関係ではない。すべてが論理で解決する本格ミステリの世界だって特殊なファンタジーみたいなもの、と捉えているアリスではあるが、作者の有栖川有栖としては、『夕映え』こそが自分の書く特殊設定ミステリです、という気持ちもあったのではないだろうか? 勘の鋭い未読読者がピンと来てしまってはいけないので、これ以上の言及は避けるのだけれども……。

 

 『捜査線上の夕映え』は、作者が今回目指していた、「余情が残るエモーショナルな本格ミステリ」というものが、円熟した、それでいて若さを失わない自由闊達とした筆致で表現された、力作であり傑作である。今回通読して、連載時とはまた違った感慨が波のように押し寄せるのを感じ、終盤では何度も涙しそうになった。まだ今年は始まったばかりだが、年間を通して一、二を争うおすすめの一冊になるのではないだろうか、という予感がしている。単体で読んでも、シリーズ最新作として読んでも、幸福な読書タイムが待っているにちがいない。