ささやかな終末

小説がすきです。

自己紹介がてらの好きなキャラクター31選

本記事は「#いいねの数だけ好きなキャラを言う見た人もやりましょう拒否権はない」という横暴なハッシュタグを元に作ったものである。強制力を感じるひとがいたら大変申し訳ないなと思いつつ、自己紹介の代わりとしてTwitterの私のアカウント上で行った。結果としてかなり多くのキャラクターを紹介することができたので、ブログにまとめることにした。なお、本のタイトルは電子書籍ストアBOOK☆WALKERへのリンクになっているため緑字になっている。

 

1.井熊あきら(八目迷『琥珀の秋、0秒の旅』)

去年出会ったラノベヒロインの中でいちばん好き。見た目も話し方も不良っぽく、ストライクゾーンからはかなり外れていたのだけれど、読み進めるうちに性格が分かってきてどんどん好きに! 小説を読む醍醐味を感じた。

 


2.宮前しおり(西条陽『わたし、二番目の彼女でいいから。5』)

今月出会ったラノベヒロインの中でいちばん好き。早坂派でも橘派でもなかった私がようやくこの世界で運命の女の子を見つけてしまった。一歩出遅れているが混戦してくれば勝ち目はあると思う。友達想いの控えめさが報われてほしい、切実に。

 


3.梓川咲太(鴨志田一 青春ブタ野郎シリーズ

ライトノベル歴代ベスト主人公なくらい好き。このラノ男性キャラ部門では常に1位に投票している。麻衣さんを一途に愛する咲太を見ているのが好き。麻衣さんのことも大大大好きなので麻衣さんと咲太の子どもに転生すればいいのではないかと思い当たった。

 


4.永瀬伊織(庵田定夏ココロコネクト』)

人生で出会ったラノベ登場人物の中で人間としていちばん好き。4巻での彼女をすぐに受け入れられなかった自分の未熟さを一生悔いている。今でも独り身なら結婚を申し込みたい、ヒロインでも学園のアイドルでもない彼女を見つめるために。

 


5.櫛枝実乃梨竹宮ゆゆことらドラ!』)

人生で出会ったラノベ登場人物の中でヒロインとしていちばん好き。永遠にまぶしく輝き続けてほしいと思っていた、今でも思っている。彼女をヒロインでなくすことは、まだできないでいる。

 


6.羽川翼西尾維新 物語シリーズ

物語シリーズの中でいちばん好き。新刊が出るごとに1位が入れ替わっていたが『結物語』を読んで確定した。ヒロインとして大好き、人間としては尊敬と言うのも畏れ多い。そうならざるをえなかった背景も含めて愛している。

 


7.紫木一姫(西尾維新 戯言シリーズ

戯言シリーズの中でいちばん好き。他は何を言ってもネタバレになりそうだが果敢に挑戦すると、登場巻での彼女の選択が好きだった。それは気高いことだと思う。『キドナプキディング』でも登場してほしい!

 


8.由比ヶ浜結衣渡航やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』)

俺ガイルでいちばん好き、ライトノベル歴代ベストヒロインランキングでも上位入賞確定。3巻の口絵にもなっているあのシーンで恋に落ちた。はどうなるのか楽しみだが、本編の彼女が好きだった可能性も自分の中では存在している。

 


9.相麻菫(河野裕サクラダリセット』)

河野裕ヒロインの中でいちばん好き。彼女ほど主人公に愛を注げるヒロインもなかなかいない。人間としての生き方は、もしも私が彼女の親友だったら、ひとこと「バカ!」と言ってやりたいくらい、かなしくていとおしい。

 


10.春科綾音(野村美月吸血鬼になったキミは永遠の愛をはじめる』)

野村美月ヒロインの中でいちばん好き。彼女がヒロインとして活躍する世界を、野村美月先生の当初の想定通りの終わり方で見たかった。先生、見てますか? あの頃、私は詩也と同じ気持ちで綾音さんのことが好きでした。

 


11.神楽坂響子(杉井光さよならピアノソナタ』)

杉井光作品の登場人物でいちばん好き。彼女に見初められるような人間になりたかった。本編の彼女も好きだがencore piecesで語られる過去やその後も好き。神楽坂響子ファンは『神様のメモ帳』4巻と7巻、『楽園ノイズ』も読んでね!

 


12.著莪あやめ(アサウラベン・トー』)

この世に著莪あやめに勝る幼馴染ヒロインはなし。いつも無茶振りを仕掛け振り回してくる同い年の従姉であり、あるきっかけで主人公とは苗字で呼び合っている。私が「あやめ」って呼びたい! でもゲームが下手だと眼中に入ることができなさそう。そこも好き。

 


13.有馬かな(赤坂アカ×横槍メンゴ【推しの子】』)

子役からのプロであり自分を客観的に見られるがゆえに恋愛では窮地に陥りがちなところがかわいくて好き。最近の展開ではかなりピンチなのでチャンスに変えてほしい。もしアクたんと結ばれなかったら私が華麗にいただいていこうと決めている。

 


14.冬馬かずさ(『WHITE ALBUM2』)

孤独を自ら選んでいるように見えるのにどこか寂しそうで、思い切って話しかけてみたら私にだけしか見せないような顔を見せてくれて、でも圧倒的な才能があって、いつか遠くに行く人で。出会った瞬間から今までずっと、私は彼女に一生届いてほしくない恋をしている。

 


15.月岡恋鐘(アイドルマスター シャイニーカラーズ

結婚したい。恋鐘の手料理を食べてみたい。だが私から彼女にあげられそうなものは何もないのでそんなことを言っていいものなのか気にしている。太陽みたいなアイドルの彼女の、月の一面を知っていることに優越感を抱いている。

 


16.火村英生(有栖川有栖 火村英生シリーズ

これから先、このひと以上に好きになる名探偵は現れないだろうという予感めいた確信がある。犯人への向き合い方がとても好き。彼の過去は明かされなくても構いはしない。ただ、彼の活躍と決断を、シリーズが続く限りつぶさに見ていたいと思っている。

 


17.御子柴辰巳(似鳥鶏 御子柴シリーズ

過去に傷を抱えた御曹司という設定が好みどストライク、その過去に囚われながらもがき、行動し続けているところも好き。兄妹に優しいところもキュン。できれば彼の結末を、遠くから眺めたいので御子柴シリーズの新刊をどうか……。

 


18.小鳩常悟朗(米澤穂信 小市民シリーズ

米澤作品の登場人物の中でいちばん好き。小市民であろうとしてもきっかけがあれば謎に飛び付いてしまう性質を捨てられないところ、人当たりはいいけれどほぼ誰にも興味がない感じ、最高。例外が2人ばかりいるところも好き。

 


19.秋元加代子(豊島ミホ檸檬のころ』)

「ルパンとレモン」のヒロイン。「雪の降る町、春に散る花」の主人公。家賃の広告を見るたび彼女のことを思い出すのでこれはきっと好きってことだとおもう。彼女みたいに生きたかった、それが無理だと分かっていても、憧れを捨てない自分であり続けたかった

 


20.手塚光(有川ひろ 図書館戦争シリーズ

図書館戦争男性陣の中でいちばん好き。下に見ているのにたまに自分を上回ってくる郁への敵対心剥き出しな初期手塚も、兄との関係に一区切りつけられた中期手塚も、その後の後期手塚も好き。中学のお弁当タイムに誰派かでよく盛り上がっていた思い出がある。

 


21.柳瀬沙織(似鳥鶏 市立高校シリーズ

似鳥作品ヒロインの中でいちばん好き。才能に溢れた気さくな先輩、たぶん現実で出会ったらうっかり恋かそれに類する何かをしてしまっていたと思う。『いわゆる天使の文化祭』以降は大変にやにやしながら読み進めた。

 


22.荻上千草(三秋縋 電話二部作

電話二部作と言っているのはたぶん私だけ。三秋縋ヒロインの中でいちばん好き。もしもこの物語の登場人物でなければ正ヒロインになれていたと思うが、それでは荻上千草でなくなってしまう。この作品を考えることは彼女について考えること。

 


23.岩崎亜衣(はやみねかおる 名探偵夢水清志郎事件ノート

はやみね作品の登場人物の中でいちばん好き。亜衣は今、赤い夢の世界ではどんな立ち位置にいるのか、とても気になっている。未来で夢を叶えたのかな? 叶った姿も、叶わなかった姿も見てみたいと思ってしまう。ただ、しあわせであってほしい。

 


24.最原最早(野﨑まど『[映]アムリタ』)

今まで出会ってきた天才の中でいちばん好き。本作のヒロインとしても好き。真顔で高度なボケをするお茶目さと、映画を撮っているときのまなざしが好き。好きな人に対する態度もとてもかわいいと思う。いつかどこかで再登場してほしいと願っている。

 


25.遊佐美和子(恩田陸夜のピクニック』)

パーフェクトヒロインといえば私の中ではこのひと。顔よし家柄よし国公立理系志望の成績優秀者でいつもニコニコしていて体力もあり何より芯がある。どの方向から見ても死角なし、憧れの女の子である。ご両親は娘の育て方の本を出してほしい。熟読するので。

 


26.青豆(村上春樹1Q84』)

暗殺者で男の嗜好が一般的ではない。ヤバい女だと思っていたら事情が明かされるにつれてかわいく、いとおしく思えて仕方なくなってくる。この気持ちは間違いなく「萌え」。私も小学生の青豆に手をキュッと握られたい人生だった……。

 


27.加部谷恵美(森博嗣 Gシリーズ

森博嗣作品の中でいちばん好き。他のシリーズにも登場している。過去に辛い事件に巻き込まれ、大学では何度も殺人事件に遭遇するなど、あまり幸福とは言えないかもしれない彼女が、それでも前を向いて生きていく様に勇気づけられる。とてもかわいい。

 


28.虹北恭助(はやみねかおる 少年名探偵 虹北恭助の冒険シリーズ

はやみね作品の男性陣の中でいちばん好き。小学校に通えないほど社会生活不適合者で、何かも分からないものを探しに海外へ行ってしまう、そんな彼の葛藤とミステリアスさにときめく。彼もまた赤い夢の世界で何をしているのか。

 


29.桜島麻衣(鴨志田一 青春ブタ野郎シリーズ

一作品ひとりの選出にしようと思ったがやはり外せないと思い。麻衣さんと添い遂げるのは咲太しかおらず、咲太と添い遂げるのもまた麻衣さんしかいない。1巻の麻衣さんは初々しくてかわいく、最近の落ち着いた大人の女性の麻衣さんもかわいい。

 


30.阿良々木暦西尾維新 物語シリーズ

彼のことが大好きだからこそ10年以上にわたり28巻+αを追いかけているのだと思う。マイベスト阿良々木暦は『猫物語 白』のあのシーンの阿良々木くん。『結物語』での大人になった彼も好き。5月に出るらしい『戦物語』ではどの彼に出会えるのか楽しみ。

 


31.浅井ケイ(河野裕サクラダリセット』)

親を捨てたことも大切な女の子を死なせたこともすべてを忘れることができないという呪いのような能力を持ちながら日々考え続け、最終的にはその能力を肯定できるところまで辿り着いた彼がたまらなく好き。私の中でヒーローとは彼のことを指す。

 

以上31人について語る中で、自分のキャラクターに対する好きとは何なのか、随分と悩まされた。その作品のヒロインとして好き、主人公として好き、現実にいたらきっと好きになるという意味の好き。それにも恋人になりたい好きと遠くから見ていたい好きがあった。

 

私とキャラクターの間には次元という境目があり、実は壁のように厚いそれが、たまに膜のように薄く見えたりもする。壁を取り壊したいと思うときも、ずっと壁の向こう側にいてほしいと思うときもある。いずれにせよ、好きなキャラクターを通して自分がどういう人間なのか再確認させられる、ということは、私の中でままある。その意味で、今回は大変貴重な機会だった。

少年と少女とまちがいを巡る物語 ~『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』『サクラダリセット』論~

本記事は渡航やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』と河野裕サクラダリセット』の関係性を考えるものである。二作品の重大なネタバレや重大な箇所の引用を含むため、未読者は注意されたい。

 

渡航やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』(ガガガ文庫、2011~2019)(以下『俺ガイル』と表記する)で比企谷八幡雪ノ下雪乃由比ヶ浜結衣が所属する部活動は「奉仕部」と命名されている。一方で、『サクラダリセット』(角川スニーカー文庫、2009~2012、のちに加筆修正版が角川文庫から刊行)(以下『サクラダ』と表記する)の浅井ケイと春埼美空が籍を置いている団体は「奉仕クラブ」である。この近似は長らく、意味のないただの偶然として捉えられていたが、『俺ガイル』最終14巻が発売されると同時に意味ある重大な一致へと変貌した。

 

『俺ガイル』14巻で、平塚静比企谷八幡にこう語りかける。

 

「共感と馴れ合いと好奇心と哀れみと尊敬と嫉妬と、それ以外の感情を一人の女の子に抱けたなら、それはきっと、好きってだけじゃ足りない」(中略)「だから、別れたり、離れたりできなくて、距離が開いても時間が経っても惹かれ合う……。それは、本物と呼べるかもしれない」(P505)

 

この言葉は、『サクラダ』5巻の以下の箇所を意識して書かれたものである、と断言していいだろう。

 

「でも、その感情は本物かしら? もしかしたら、すべて勘違いかもしれない。共感と、馴れ合いと、好奇心と、哀れみと、尊敬と、嫉妬と。そういう感情が重なって、錯覚しているだけかもしれない」(中略)「それだけの感情を、ひとりの女の子に対して抱けたなら、それはつまり好きだということだよ」(引用した箇所にはスニーカー文庫版と角川文庫版で加筆修正なし。紙書籍が手元になく電子版で確認したためページ数は不明)

 

ここで時を10年遡る。渡航のデビュー作『あやかしがたり』の発売は2009年5月18日、河野裕のデビュー作『サクラダリセット CAT, GHOST and REVOLUTION SUNDAY』の発売は2009年6月1日であるので、2人はデビューしたレーベルこそ異なるもののライトノベル業界全体で見ると同期と言って差し支えないだろう。ここで想像してみる。渡航が自分のデビュー作が並んでいるか書店にチェックしに行くと、あの角川スニーカー文庫(この時のスニーカー文庫ハルヒのアニメ2期が絶賛放送中で波に乗りまくっている)から「乙一、絶賛」という帯の巻かれた新人のライトノベルが平台に並んでいる。ここで渡航Twitterで「乙一」と検索してみると、こんな興味深いツイートに出会った。

 

まぁぼくはあれですよ、大学生当時「よし、オラ作家になる!いっちょやってみっか!」って思ったときに乙一さんの『夏と花火と私の死体』読みましたからね。それ書いたとき、乙一さん16歳ですよ?「ああ、俺に特別なとこなんて何もないんだ、作家目指す俺かっこいいとか思ってた俺死ねよ」って思った
午後6:24 · 2011年2月22日

 

さて、渡航(デビュー1か月目、社会人1年目)が書店で『サクラダリセット』を見つけたとき、どう感じたか。購入して読んだ、と断言することはできないが、少なくともその時点で認識し、意識したはずである。自分が打ちのめされた乙一に絶賛されているこいつは何者だ、と。


そして『あやかしがたり』は作者自身が『俺ガイル』大ヒット後に散々ネタとして擦るほど売れず、2010年11月に最終4巻が発売されて完結した。ふたたび渡航Twitterを確認してみる。

 

(とある書店員へのリプライ)ぼくの「あやかしがたり」は載っていませんが「このラノ2011」好評発売中です!そして、「あやかしがたり4」入荷ありがとうございます!宜しくお願いします!
午後3:59 · 2010年11月18日

 

そんなわけで「このラノ」流し読み終了。仕事します。……いや仕事してたよ?正しくはいやいや仕事してた
午後4:46 · 2010年11月18日

 

そして「このライトノベルがすごい!2011」で20位台に入賞したのが河野裕サクラダリセット』である。私が渡航なら、河野裕に何の関心も抱かないことは難しい。兼業作家にもかかわらず新作ラノベをチェックし続けている勉強熱心な渡航のことである、その当時3巻まで発売されていた『サクラダ』を、手に取ったのではないだろうか?

 

この4か月後、渡航が刊行した新作『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』は好評を博し、大ヒットした。2010年代のライトノベルを語るとき、この作品を無視することは誰にもできないくらいに、売れた。2012年11月に発表された「このライトノベルがすごい!2013」では、トップ10入りし6位入賞を果たしている。投票時に発売されていたのは5巻まで、そしてこの11月にあの6巻が刊行された。渡航の地位は盤石のものとなったのである。

 

ちなみに「このラノ2013」で9位にランクインしたのは、2012年4月に完結した河野裕サクラダリセット』である。こちらも初のトップ10入りであった。2作家間に因縁を感じざるをえないのは私だけだろうか。

 

なお、この後、河野裕は『つれづれ、北野坂探偵舎』を角川文庫から刊行することで一般文芸(ライト文芸)に主戦場を移した。スニーカー文庫からは河端ジュン一との共著で『ウォーター&ビスケットのテーマ』という作品を2017年に発表したものの、2巻であえなく刊行がストップ。並行して書き進めていた階段島シリーズ完結後、新潮文庫nexにタイトルを変えて移籍された。2023年現在も継続中の『さよならの言い方なんて知らない。』(架見崎シリーズ)のことである。

 

その間、渡航は大量の仕事に忙殺されていた。『俺ガイル』を書き進めねばならない。しかしメディアミックス関連のこともやらなければいけない。もちろん会社は辞めていない。小学館ライトノベル大賞の審査員もやった(屋久ユウキが受賞した年である)。仲良しのさがら総橘公司とプロジェクト・クオリディアをやった。ガーリッシュナンバーもやった。他にもいろいろあると思う。初期はあれだけ順調だった『俺ガイル』の刊行が遅れ始め、2016年には完全にストップしてしまったのも頷ける仕事量である。

 

そして2019年11月。『俺ガイル』を完結させた。素晴らしい最終巻だったが、正直に告白すると私は、三箇所くらいの場面しか覚えていない。なぜか。本記事序盤で引用した通りの505ページに爆弾があったからである。そしてその爆弾が、私が今こうしてこの文章を書いている理由である。

 

『サクラダ』は、世界を3日分巻き戻せる能力「リセット」を持つがリセット前の世界の記憶も自分が「リセット」を使ったということも忘れてしまう少女と、何も忘れない能力を持ち世界で唯一「リセット」前の世界のことを覚えていられる少年が、ワンセットで行動して世界を変えていく、という内容である。少年と少女は能力を利用するためにずっと2年以上そばにいて、2人の関係性はこじれてきてしまっていた。その解決方法が、「何かのため」でなくても側にいてよいのだ、と規定するための「恋」であった。だから浅井ケイは「好きだということだよ」とはっきり告げたのである。

 

一方、『俺ガイル』は、「あったことをなかったことにすることはできない」という地点から出発している。雪ノ下雪乃由比ヶ浜結衣比企谷八幡。3人の関係性が始まったのは、「結衣の飼っている犬が雪乃の乗っている車に轢かれそうになったとき八幡が身を挺して助けた」ときである。これは『サクラダ』1巻が「交通事故に遭って死んでしまった猫を助けるために世界を巻き戻す」話であることと対応している。ここで『俺ガイル』6巻、文化祭が終わった後、雪乃と八幡が奉仕部の部室で話す場面を引用したい。屈指の名シーン「でも、今はあなたを知っている」を受けての八幡の語りである。

 

誤解は解けない。人生はいつだって取り返しがつかない、間違えた答えはきっとそのまま。だから、飽きもせずに問い直すんだ。新しい、正しい答えを知るために。(P352)

 

さらに最終巻でも、平塚静に対して比企谷八幡はこう答える。

 

「どうですかね。わからないですけど」(中略)自分たちの選択が正しいかどうかは、きっと、ずっとわからない。今もまだまちがえているんじゃないかと、そんなことを思う。けれど、他の誰かに、たった一つの正解を突きつけられても、俺はそれを認めることなんかしないだろう。「だから、ずっと、疑い続けます。たぶん、俺もあいつも、そう簡単には信じないから」(P506)

 

浅井ケイは『サクラダリセット』という物語のヒーローで、目的のためならルールを破るほどのまっすぐさは怪物とも称される。浅井ケイは悩まないわけではない。ただ、一度した選択を、「あれでよかったのか」と悩み直すことはしない。彼は選択したその後の世界で、さらに最善を目指すために振り返らず進み続ける。浅井ケイは能力によって、自分が決断に至った理由と、実現のために何をしたかを、決して忘れることはない。春埼美空と相麻菫はイレギュラーな方法(特定の能力)を使って彼の行為の一部を知ることができるが、すべてではない。基本的には彼の行動を知っているのは彼自身のみである。


対して比企谷八幡は『俺ガイル』において、選択した後もその決断を、「飽きもせずに問い直」し「疑い続け」る。それが比企谷八幡のパーソナリティーであり、浅井ケイとは対極に位置するものである。比企谷八幡は『俺ガイル』において(総武高校や2年F組の中で)意識的に悪役じみた振る舞いをする(これは6~8巻で顕著である)。彼は誰もが知るヒーローにはならないが、彼が何をなしたのか、雪ノ下雪乃由比ヶ浜結衣は知っている。一色いろは比企谷小町平塚静もその輪に加わることがある。後に奉仕部関係者になる全員である。偶然ではないだろう。

 

そんな比企谷八幡に対し、雪ノ下雪乃はこう告げる。

「あなたが好きよ。比企谷くん」(P512)


比企谷八幡の懊悩とは裏腹に、なんて「シンプル」な告白台詞だろう。この告白を、渡航の「シンプルさ」=河野裕への希求と捉えることはできるだろうか。半ばこじつけのようになってきたが、ここはひとつ考えてみたい。『サクラダ』6巻における浅井ケイの告白台詞は、決してシンプルではなかった。「好き」という単語は含まれない、彼女にだけ伝わるような長い言葉だった。だから雪乃の告白は、河野裕とは無関係の産物だ。彼女の想いは絶対で、この先変わることはない。確信をもって告げられた「好き」は、比企谷八幡から雪ノ下雪乃への憧憬に繋がっていくに違いない。


最後に。『サクラダ』は2016年から2017年にかけて角川文庫化された。角川文庫版では、スニーカー文庫版で英語だったサブタイトルが日本語に直されているのだが、最終7巻の「BOY, GIRL and the STORY of SAGRADA」を、河野裕はこう訳した。

 

「少年と少女と正しさを巡る物語」

 

正しさを巡る物語としての『サクラダ』と、まちがいを巡る物語としての『俺ガイル』。しかし正しさとまちがいは、常に表裏一体である。「正しいこと」を考えるならば「何がまちがっているのか」を考えるにちがいないし、「まちがい」を考えるならば「正しいことは何なのか」考えざるをえないのだろう。2作品はこの観点において、同じテーマを語り、異なる結論を出した作品であると言えるのかもしれない。

 

 

 

作者と結ぶ共犯関係 ~『捜査線上の夕映え』感想(ネタバレなし編)~

 この度、火村英生シリーズ最新作『捜査線上の夕映え』が刊行された。傑作だった。

 

 本記事は『捜査線上の夕映え』(以下『夕映え』と記載)のネタバレが含まれない感想である。『夕映え』未読の方には紹介文として捉えていただけるように、それでいて既読の方にもおもしろがっていただけるように、と意識しながら執筆した。その試みが成功しているかどうかは、きっと神とあなたのみぞ知るのだろう。

 

 火村シリーズと出会って、かれこれ六年が経つ。めでたくも今年で三十周年を迎えるシリーズなので、古くから知っているとは口幅ったくて言えないけれど、二〇一六年に半年かけて既刊二十三冊(『新装版 46番目の密室』から『鍵の掛かった男』まで)を読んで以来、それなりに長い時間、このシリーズのことを考えている。

 

 今ではシリーズ新作が掲載されている雑誌は必ず買って読むほど大好きで、だから今回の『夕映え』も実は、『別冊文藝春秋』という電子雑誌に連載されていたときにすべて読んでしまっていた。それでいて、内容を知っているから単行本にまとまるのが楽しみではない、ということは決してなく、いつ発売だろうか、どんな装丁になるのだろうか、あとがきはあるのだろうか、とそわそわしながら待ちわびていたのだから救いようがない。本格ミステリの王道を行きながらその中で様々なジャンルに果敢に挑戦していくバラエティー豊かさなおもしろさにも、犯罪学者の火村英生と推理作家の有栖川有栖の同窓生コンビが織り成すバディ感の妙にも、私はどうしようもなく虜になっているのである。

 

 さて、『夕映え』はこんな話だ。

 

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「臨床犯罪学者 火村英生シリーズ」誕生から30年! 最新長編は、圧倒的にエモーショナルな本格ミステリ

一見ありふれた殺人事件のはずだった。火村の登場で、この物語は「ファンタジー」となる。

大阪の場末のマンションの一室で、男が鈍器で殴り殺された。金銭の貸し借りや異性関係のトラブルで、容疑者が浮上するも……。

「俺が名探偵の役目を果たせるかどうか、今回は怪しい」
火村を追い詰めた、不気味なジョーカーの存在とは――。

コロナ禍を生きる火村と推理作家アリスが、ある場所で直面した夕景は、佳き日の終わりか、明日への希望か――。

 

 コアなシリーズ読者は、このタイトルを見て、火村シリーズ第五長編『朱色の研究』(以下『朱色』と記載)を連想せずにはいられないだろう。本シリーズの語り部である推理作家の有栖川有栖(以下アリスと表記。作者である有栖川有栖とは別人であり、キャラクターであることに注意されたし)が大阪は天王寺の自宅マンションの窓から不吉なまでに毒々しい色をした夕焼けを目撃したことから物語が始まる『朱色』は、実際に『夕映え』作中でも序盤でアリスから言及されている。

 

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過去のトラウマから毒々しいオレンジ色を恐怖する依頼者が推理作家・有栖川と犯罪社会学者・火村を訪れた

 

“2年前の未解決殺人事件を再調査してほしい”臨床犯罪学者・火村英生が、過去のトラウマから毒々しいオレンジ色を恐怖する教え子・貴島朱美から突然の依頼を受けたのは、一面を朱で染めた研究室の夕焼け時だった――。さっそく火村は友人で推理作家の有栖川有栖とともに当時の関係者から事情を聴取しようとするが、その矢先、火村宛に新たな殺人を示唆する様な電話が入った……。現代のホームズ&ワトソンが解き明かす本格ミステリの金字塔。

 

 古今東西、『朱色』を語るときにもっとも取り沙汰されてきたのは、その動機であろう。読書家が集まるサイトで『朱色』のページをちょっと覗けば、その二文字が入った感想がなんと多いことか! かく言う私も、他のミステリ部分や登場人物同士の対話から生まれる興趣を充分に楽しんだ上で、感想を書くならばやはりそこに言及せずにはいられない。それは様々なミステリの中でも一、二を争うくらい好きな動機だからなのだが、否定的な意見も散見される。なんなら火村シリーズの中でいちばん賛否両論ある動機だと言えるだろう。

 

 理由は分かる。『朱色』の犯人の根底には、とても常人には理解しがたい、割り切ることのできない心情が横たわっていた。それが吐露されたとき、私は驚愕しながらも納得し、ガラス細工が溶鉱炉の中で溶けていくような美しさを想ってただただ身を焦がしたものである。しかしながら、読者がミステリに求めるものによっては、こんな予測も共感も不可能な結末があってたまるか、と不満になりもするだろう。

 

 ところで『夕映え』も、実はそんな危うさを秘めた小説である。ミステリの核の部分において、激しく意見が分かれそうな、場合によっては眉を顰める人もいそうな。両者のミステリとしての在り方は、ひどく似ているように感じる。そして私の受け止め方もまた、どちらも近いところにある。二つともに賛であり、美しさを見出していて、大好きでもある。理由はいろいろあるけれど、著者・有栖川有栖の誠実な腐心を感じることができるから、と言えば既読者には伝わるだろうか?

 

 小説を楽しむことは、作者と共犯関係を結ぶことに似ている、と最近思う。作者は持てる力をすべて用いて、読者を自作の渦の中へと惹き込もうとする。であるならば読者のほうも、その作品に没頭していけるように、ある程度の心づもりをしておいたほうがいい。もちろん、なんの準備もなく読み始めてもかまわない。作者はそんな読者さえ夢中にさせなければいけないのだから。そして、有栖川有栖という作家は、読者のための土壌作りが非常に丁寧かつ巧みなのである。

 

 読者が作品に夢中になるためには、舞台設定を吞み込まなければいけない。それが現実的なものであれ非現実的なものであれ、腑に落ちなければ集中することは難しい。『朱色』も『夕映え』も、最後の最後に納得するために必要な前提が、少しだけ特殊だ。その特殊さを読者に理解してもらい、あわよくば共感してもらうために、有栖川有栖はこれでもかというほど筆を重ねる。物語を最後の最後まで書き込み、読者をどこまでも深く、自らが生み出した箱庭の奥深くへいざなおうとする。それは非常に誠実な腐心であると、私は考える。物語の深淵まで踏み込もうとした読者を、絶対に離しはしない力強さがあるのだ。残念ながら潜っていくことに失敗した読者が、賛否の否の側へ回るのではないだろうか。

 

 『夕映え』序章でアリスが特殊設定ミステリについて考察するのは、おそらく本作の性質と無関係ではない。すべてが論理で解決する本格ミステリの世界だって特殊なファンタジーみたいなもの、と捉えているアリスではあるが、作者の有栖川有栖としては、『夕映え』こそが自分の書く特殊設定ミステリです、という気持ちもあったのではないだろうか? 勘の鋭い未読読者がピンと来てしまってはいけないので、これ以上の言及は避けるのだけれども……。

 

 『捜査線上の夕映え』は、作者が今回目指していた、「余情が残るエモーショナルな本格ミステリ」というものが、円熟した、それでいて若さを失わない自由闊達とした筆致で表現された、力作であり傑作である。今回通読して、連載時とはまた違った感慨が波のように押し寄せるのを感じ、終盤では何度も涙しそうになった。まだ今年は始まったばかりだが、年間を通して一、二を争うおすすめの一冊になるのではないだろうか、という予感がしている。単体で読んでも、シリーズ最新作として読んでも、幸福な読書タイムが待っているにちがいない。

 

 

 

 

 

杉井光『楽園ノイズ』ネタバレ感想

 

はじめに

 

 杉井光『楽園ノイズ』を11ヶ月ぶりに読んだ。やはり傑作だった。

 

 ブログを書くのをサボっている間にいろいろなことがあった。昨年11月に刊行されたライトノベルのガイドブック『このライトノベルがすごい!2021』内のランキングで『楽園ノイズ』は新作4位文庫総合6位に輝いた。入賞を記念して寄せられた著者コメントの中では2巻を鋭意執筆していることが発表され、私は書店の外のベンチで買ったばかりのこのラノを握りしめ歓喜に打ち震えた。

 

 それからというもの、毎月の電撃文庫発売日の0時には必ず電撃文庫のサイトにアクセスするのが楽しみになった。2ヶ月先の刊行予定が発表されるのがその日のその時間だからだ。胸が痛くなるほどの期待と失望を繰り返すたび、このラノを読み直した。短いコメントは私の視界で燦然と光っていた。

 

 待ちに待った3月10日、『楽園ノイズ2』の文字が5月の刊行予定に掲載された。1巻からちょうど1年ぶりになる。著者がTwitterで書き上げたと公言してからは、約2ヶ月が経っていた。そのときの興奮といったら! もし発売されたら1巻と2巻を両翼にしてきっとどこまででも飛んでいける。本気でそう思った。

 

 そしてとうとう発売日前日がやって来た。私は念願の再読を解禁した。11ヶ月ぶりではあるが読むのは4度目である。ひと月に3回読んでしまうような中毒性があったため、封印していたのだ。久々に読んでも、やはり傑作だった。

 

 同時にこのブログのことも思い出した。否、ずっと頭の片隅では覚えていた。前回の記事で、後日『楽園ノイズ』ネタバレマシマシ感想を書くと約束したことを。誰との約束かと問われれば、1年前の私との約束だと答えるだろう。

 

 再読でまたしてもこの作品の虜になってしまった私は、驚くほど軽いキータッチで文章を書けている。今まで後回しにしていたのは何だったのだろうと思うくらいだ。「はじめに」がこんなに長いことからも分かる通り、簡潔とは言い難い記事になりそうだが、『楽園ノイズ』読者でお時間がある方は、目を通してくださるとうれしい。ネタバレを多く含むため、未読の方はご注意を。

 

 

楽園ノイズ (電撃文庫)

楽園ノイズ (電撃文庫)

 

 

5月のある晴れた朝に

 

 1年前の私がどれだけ『楽園ノイズ』刊行を心待ちにしていたかという話は、前の記事に詳しい。せっかくなのでぺたりと貼り付けておこう。同著者の『さよならピアノソナタ』という作品を長年愛していた私が、同じ青春音楽ストーリーである新作にどれほど期待していたかが書かれている。

 

happyend-prologue.hatenablog.com

 

 いそいそと読んだ新作は、期待を遥かに超える傑作だった。それが一時の熱から来る感想ではなかったことは、今日の私が証明している。何度読んでも、傑作だと感じてしまう。この本以外はしばらく読みたくないと思ってしまう。隙あらばページをめくり、パラダイス・ノイズ・オーケストラが響かせる音を聴きたいと願ってしまう。麻薬のような小説だ。

 

 読みながら出てくる音楽を調べたり聴いたりすることはしなかった。完全なオリジナル曲も多く含まれている。それにもかかわらず、耳の奥でずっと音楽が鳴っていた。凜子が叩く鍵盤の繊細な音。詩月が殴るドラムの正確なビート。朱音が掻きむしるギターの高音と切ない声。真琴が支える少し下手なベースの振動。4人のハーモニーが耳から脳へと伝い、やがて心臓をノックする。聴こえないはずの音が身体と思考をぐちゃぐちゃに乱す。気持ちよくて、ずっと浸っていたくなる。この快感は何かいけないものなんじゃないか。自分はとっくにおかしくなっているのではないか。そんなことを思わされたのは、この小説が初めてである。

 

 今回で読むのは4度目になるので、筋は頭の中に入っている。それでも涙が止まらないのはどうしてだろう。3章の真琴と凜子のセッションの場面や、クライマックスで電光掲示板に美沙緒先生からのメッセージが流れるところで、毎回泣いてしまう。そういうとき、私が決まって思い出すのは、著者の杉井先生が昔書いていたブログのこの文章である。

 

 どうやったら他人様が金を払ってでも読みたいと思うような小説を書けるのか?

 根源的な問いだ。僕はこれまで執筆中に迷うたび、何度も何度もこの問いに遡って考えてきた。登場人物の造形、プロット、描写、語句、ありとあらゆるレベルの選択において、この自問を迫られる。どんな小説にすればいい? どんな小説が金を払ってまで読みたいと思わせられるのか? ……今のところ、毎回同じ答えしか出てこない。もしかしたら他のもっといい答えがあるのかもしれないが、思いつかない。

 感動する小説、である。

 

hikarus225.hateblo.jp

 

    この考え方には賛否両論あるだろう。だが、私などはこの箇所を読んだ上で彼の書いた作品を読むと、「天才だ」以外の感想が浮かばなくなる。だって感動させようと計算して人々に感動を与えるなんて、神か魔法使いか最原最早くらいにしかできない所業ではないか。杉井光は、人々を感動させる小説が書ける。プロットを立て、キャラクターを配置し、そこに粒揃いに美しくて詩情に溢れた文章を叩きつけることで、読者の胸を熱くし、涙さえ流させることができる。しかも一作だけではなく、その気になればシリーズもので毎巻感動させることができる。これはきっと一握りの作家にしかできないに違いない。

 

約束の音が聴こえる場所

 

 杉井光の書くライトノベルの主人公はだいたい一緒だ、という旨の感想を見かけたことがある。なるほど、たしかに鈍感だが頭と口が回る少年ばかりだし、ついでに言うとヒロインもタイプが決まっている。10シリーズ以上も書いているのだから(ひょっとしたら20シリーズ以上?)似てくるのは頷けるし、くだんの感想も指摘しているだけで否定的なものではなかった。シリーズが違うとストーリーが違って、受ける印象もまったく変わってくるのだから恐れ入る。

 

 ところで『楽園ノイズ』では、杉井光スターシステム的な型から逸脱した、新しい登場人物たちが描かれているように思う。まず主人公の真琴の鈍感さが随分カットされているし、ヒロインに背中を押されるまでもなくかなり積極的に行動する。ヒロインが凜子、詩月、朱音と3人いるのに皆がおしゃべりで真琴へのアタックにも余念がなく、現時点では誰と結ばれてもおかしくない(し誰とも結ばれないかもしれない)。真琴たちは言いにくいことがあっても口をつぐむことなく相手に届け、それでも届かなかった部分を音楽に乗せて届けようとする。

 

 そして1巻の真のメインヒロインというべき女性は、華園美沙緒先生である。彼女だけが秘密を隠し真琴たちに何も伝えないでいた。けれど最終的には先生は真琴に電話で想いを伝え、クライマックスでもメッセージを届ける。伝えるべきことを伝えられなくて擦れ違ってバラバラになったあのバンドの二の舞にはならないと決意するかのごとく、パラダイス・ノイズ・オーケストラは早くも完全なるチームとして空に羽ばたいていくのである。

 

 1巻を初めて読んだときから、続編はきちんと用意されているのだろうと信じていた。だってヒロインズの問題があまりにあっさり解決しすぎたし、三学期の音楽祭でのカンタータというとびきり楽しい布石まで置いてある。そんなに長いシリーズにはならないだろうけれど、朱音中心の巻、詩月中心の巻、凜子中心の巻の3巻くらいは続くのではないかと思っている。実際がどうなのか、ひとまず明日発売の『楽園ノイズ2』を読んで確かめたい。

 

楽園ノイズ2 (電撃文庫)

楽園ノイズ2 (電撃文庫)

  • 作者:杉井 光
  • 発売日: 2021/05/08
  • メディア: 文庫
 

 

おわりに

 パラダイス・ノイズ・オーケストラがライブで披露するのは真琴が作詞作曲したオリジナル曲なので、私は夢を諦めることができない。そう、アニメ化である。『さよならピアノソナタ』は(当時のことは知らないのでこのラノ順位を見て語るに)『神様のメモ帳』と同等の人気を博していながらもアニメにならなかった。音楽著作権使用料が高すぎたからである(との噂である)。その点、出てくる音楽はクラシック中心でオリジナル曲も多く登場する『楽園ノイズ』なら、クリアできなくもないのではないだろうか。

 

 この物語の音は、あるいは文章に閉じ込めておいた方が美しい類のものなのかもしれない。しかし愛してしまった以上、映像化が成功し、相乗効果で原作もさらに大ヒットするという未来を考えずにはいられないのである。2巻の帯ではコミカライズ企画進行中であることが告知された。真琴たちがこれからどんな世界に飛び立ち、何を見るのか、楽しみでならない。

 

杉井光『楽園ノイズ』感想

 

はじめに

 杉井光『楽園ノイズ』を読んだ。傑作だった。

 

 この記事は『楽園ノイズ』を読んだ感想文だが、書籍情報のあらすじに載っている以上のネタバレは一切含んでいない。いつかネタバレマシマシの記事も書きたいなと思っている(そのときはもちろん、きちんと注意書きを付ける)。今回は紹介文に近いものと考えて読んでもらえれば幸いだ。

 

楽園ノイズ (電撃文庫)

楽園ノイズ (電撃文庫)

  • 作者:杉井 光
  • 発売日: 2020/05/09
  • メディア: 文庫

 

あらすじと手に取ったきっかけ

 本作は、再生回数を伸ばすために女装して演奏動画をネットにアップロードした主人公・村瀬真琴が、謎のネットミュージシャンとして話題になった結果、通っている高校の音楽教師・華園美沙緒先生に正体を見破られてしまったところから始まる。美沙緒先生に雑用を言いつけられたり授業の手伝いをさせられたりする中で、真琴は3人の同級生と出会う。1人目はかつて神童と呼ばれていたひねたピアニスト・冴島凜子。2人目は華道の家元の母を持つお嬢様ドラマー、百合坂詩月。3人目は不登校児でライブスタジオに棲みつき様々なバンドのサポートに入っているオールラウンダーの宮藤朱音。それまでの真琴にとって音楽は部屋に閉じこもって1人きりで楽しむものだった。しかし、この出会いによって彼の日常と音楽は大きく変わっていくことになる。

 

 『楽園ノイズ』を読むことは、発売予定とあらすじを目にした瞬間に決まっていた。なぜなら、あの杉井光が満を持して世に贈り出す青春音楽ストーリーだからだ。私は、同じ作者の『さよならピアノソナタ』というシリーズを、好きなライトノベルは? と聞かれると真っ先に挙げるくらい愛している。『さよならピアノソナタ』は、恋と革命と音楽が織り成す、不器用で温かくて切ない青春ストーリーだ。どこもかしこも美しくて、忘れられないし、今でもよく手に取る。だから、彼が10年以上の時を経て書いた新たなバンドものである『楽園ノイズ』の発売を、心から楽しみにしていた。

 

 発売日を待つ間、それほどのものでもないのではないか、想像することもあった。あの『さよならピアノソナタ』と同等におもしろいか、それ以上のものなんて読めるのだろうか、と。けれど、不安が頭をもたげるたび、囁きかけてくる声があった。超えられる自信があるから、ペンを執ったに決まっているじゃないか。それに、おまえは杉井光のファンだろう? ――その通りだ。自信うんぬんは勝手な想像だ。しかし、私は彼がおもしろい小説を書くことを知っている。憂いはすぐに吹き飛ばされた。

 

 一刻も早く読みたかったので、ひとまず電子書籍で購入した。そして読み終わった今、私のまぶたの裏側には楽園が燦然と輝いている。残像が消えることは一生ないだろう。

 

ナオたちは今どうしているかな、とよく考えます。

 

作品に合わせて文体を変えるということ

 読み始めてすぐ、「あ、杉井先生が本気を出した」と思った。『楽園ノイズ』の試し読みができるようになった日のことだ。私はいそいそとページにアクセスし、読み始めた。1文目から惹きつけられた。ここに少し冒頭を引用してみる。

 

 ピアノの白鍵は、純白ではなくかすかに黄みを帯びている。あれは骨の色なのだという。とある高名なピアニストがそう書いているのを読んだことがある。

 骨をじかに指で叩いているのだから、弾けば自分も痛いしピアノも痛い。

 彼はその後に、痛くないピアノに価値などない――と続けていて、つまり悪い意味の話ではなかったのだけれど、僕の記憶には痛いという言葉だけが突き刺さって残った。

 だから、りんのピアノをはじめて聴いたとき、まず思い出したのもその言葉だった。

楽園ノイズ | 書籍情報 | 電撃文庫・電撃の新文芸公式サイトの試し読みページより)

 

 杉井光の書く小説の最大の武器は文章の切ない美しさだ、と私は考えている。いつもは、クライマックスやラストといった重要な箇所で良さが爆発する。しかし、本作では冒頭から「ついて来いよ!」と言わんばかりに炸裂している。何せ、状況の説明や景色の描写や誰かとの会話ではなく、ピアノの鍵盤の話から始めているのだ。本気中の本気であるように感じた。

 

 それは2019年12月に刊行された『生徒会探偵キリカS1』の文体とは違った。『~S1』でも要所要所で美しい一文に出会えるものの、あくまで文章はストーリーやキャラクターを引き立たせるためのものに留まっていた。わかりやすく端正な文章が書けることは、素晴らしいスキルである。しかしながら、私は歯がゆかった。杉井光のセンスが遺憾なく発揮された文章をどこかで読めますように、と願っていた。だって杉井光はおもしろいストーリーと魅力的なキャラクターを殺さないまま感情を揺さぶる美しい文章で小説を書ける作家だからだ。

 

 そして今日、『楽園ノイズ』を通読して、私は悟った。作品によって意図的に書き分けているのだ、と。『生徒会探偵キリカ』は、『楽園ノイズ』と同じ学園ものではあるが、トーンがまるっきり違う。『~キリカ』は札束とセクハラが飛び交うテンション高めのラブコメミステリエンターテインメントなのに対し、この『楽園ノイズ』は音楽とセクハラが聴こえる、ギャグ会話の応酬と演奏シーン以外はテンション普通の青春ストーリーである。シリーズが変われば、トーンが違い、文体が違う。『~キリカ』のあのおもしろさは、『楽園ノイズ』の文体とはマッチしないのだろう。普通のことなのかもしれないが、意識したことはなかった。

 

 文章にこれほど圧倒された小説は『楽園ノイズ』がひさしぶりだった。ヒロインとの演奏シーンでは毎回涙が零れてきた。まだクライマックスでもないのになぜ泣いているのだろう、と自問自答して、途中でようやく、文章の麗しさに泣かされているのだとわかった。じわじわと良さが浸透してくるというよりは、読んだ瞬間にガツンと衝撃が走るような、きらびやかでいて静かで切ないような。それでいて読みやすく、理解に困らない。演奏シーンでは、飛び散る汗が見え、聴こえないはずの音が聴こえてくるようだった。

 

 読書をしていると、年に数回、求めていた小説に出会えることがある。自分が何を求めているのか、明確に言葉で言い表すことはできない。ただ、その小説を読んでいると、全身がよろこびに満たされて、頭の中を文章が駆け巡り、心が熱く震え、「出会えた!」と快哉を叫びたくなる。最後まで読まなくても、何となくわかる。『楽園ノイズ』では、3章を読んでいる途中に、「出会った!」と確信した。とある演奏シーンを読みながらのことだ。文章に気圧されて、くらくらした。それは幸福な確信だった。

 

生徒会探偵キリカS1 (講談社ラノベ文庫)

生徒会探偵キリカS1 (講談社ラノベ文庫)

  • 作者:杉井 光
  • 発売日: 2019/12/02
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

シーズン2も最後まで駆け抜けてくれますように!

 

 

おわりに

 ネタバレをしない紹介文にすると決めたので、ストーリーやキャラクターについては詳しく書かない。おもしろい作品ほど何も知らずに読んでほしくなってしまう。ちなみに、「カクヨム」でも途中まで試し読みができる。

 

kakuyomu.jp

 

 『楽園ノイズ』は、3つの専門店で特典SSが付くようなのだが、それぞれ内容が違うそうで、悩んでいる。全部読みたいのは山々だが、さて。ネタバレありの感想記事をアップする頃には、どれかを手に入れていたいものだ。

2020年1~4月に読んだ小説 マイベスト10

はじめに

  気がつけば2020年も3分の1が過ぎてしまった。このブログは年に1回でも更新できればよいと考えて開設したものだったけれど、おもしろい小説が世の中にはあまりに多く、幸運なことにこの4ヶ月だけでもたくさんの作品に出逢うことができたので、紹介してみようと思い立った。

 

 次の更新は来月かもしれないし年末になるかもしれないが、定期的な更新よりも大切なものがある。早速紹介していきたい。

 

 

1.虻川枕『パドルの子』(ポプラ文庫)

 

パドルの子 (ポプラ文庫)

パドルの子 (ポプラ文庫)

  • 作者:枕, 虻川
  • 発売日: 2019/06/05
  • メディア: 新書

 

 夏休み直前、もうすぐ取り壊される旧校舎の屋上で、中学2年生の水野くんは水たまりに潜って泳ぐ美しい同級生・水原を目撃する。彼女が言うことには、この水たまりに潜ってたった1つのことを強く願えば、その通りに世界を変えられるらしい。実際に世界が改変されていることを実感した水野くんは、水原と一緒に世界を少しずつ変えていく。これは、パドルと名づけられたその行為を巡る、瑞々しい青春ジュヴナイルである。

 

 ファンタジー要素が強い小説なので、現実と違うところがあっても最初は「そういう世界観なのか」と捉えていた。けれど、少しずつ違和感が生まれてくる。やがて終盤に入って、あらゆるところに息を潜めていた伏線がしなやかに回収されていくのを見せられたとき、求めていた小説にやっと出会えた多幸感に全身を包まれた。すべてのエピソードが、ただきれいなだけではなくて、パズルを完成させる一ピースになっていたと気づいたときの驚きは筆舌に尽くしがたい。素晴らしかった。

 

 ‟きみとぼくだけしか知らない物語“は、読んでいてすごくドキドキする。この小説を読んでいても、水野くんや水原から「あなたも秘密にしていてね」と囁かれている気がして、共犯者になった感じがすごくいい。

 

 今の季節から夏にかけて、ぜひ手に取ってみてほしい1冊だ。

 

 

 

2.石川博品「たとえぼくたちの青春ラブコメがまちがっていたとしても、」(ガガガ文庫刊『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。アンソロジー4 オールスターズ』所収)

  

 

 『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』(俺ガイル)の新刊が出るたびに好きな女の子に手紙を書いていた男の子がいた。この短編は、彼と彼女の9年間を追いかけた物語である。

 

 4冊発売された俺ガイルアンソロジーの収録作で、読者を描いたのはこの作品だけだった。だから目立って評価されたのだ、というひともいるかもしれない。でも、私は違うと感じている。設定も、ストーリーも、文章も、余韻も、すべてが素晴らしかった。

 

 詳しくは書かない。ただ、俺ガイルを最後まで読んだファンにも、途中で読むのを止めてしまったファンにも、この作品が届いてほしいと希っている。

 

 

 

 

3.伴名練「ひかりより速く、ゆるやかに」(早川書房刊『なめらかな世界と、その敵』所収)

 

なめらかな世界と、その敵

なめらかな世界と、その敵

  • 作者:伴名 練
  • 発売日: 2019/08/20
  • メディア: 単行本

 

 修学旅行から帰る高校生たちを乗せた新幹線が”低速化”して動かなくなった。親族や友人たちが嘆き悲しむ中、修学旅行に行けなかったため取り残された少年と少女は――。青春SF短編の新たな金字塔。

 

 このSF短編集に収まっていた6つの物語の中で、この「ひかりより速く、ゆるやかに」がいちばん強く印象に残っている。田舎に長く伸びる、真夜中でも光り輝く新幹線を想像してみる。1日経っても、1年経っても、時が止まったように動かない。当事者や関係者に乗っては悪夢だ。けれど、夢のように美しい光景だと、不謹慎にも思ってしまった。

 

 普段ほとんどSF小説を読まない私にも理解しやすく、おもしろかった。永遠に忘れられないだろうとも思う。この短編に出逢えたことを幸福に感じている。

 

 

 

4.長沢樹『夏服パースペクティヴ』(角川文庫)

 

夏服パースペクティヴ (角川文庫)

夏服パースペクティヴ (角川文庫)

  • 作者:長沢 樹
  • 発売日: 2015/12/25
  • メディア: 文庫

 

 気鋭の女性監督が企画したセミドキュメンタリー映画の撮影合宿にやってきた高校生たち。“事件”はすべてシナリオ通りの、はずだった――。青春の痛みと本格ミステリの醍醐味が両方味わえる見事な青春ミステリ長編。

 

 樋口真由が探偵役を務めるシリーズの、『消失グラデーション』(角川文庫)に続く第2作である。しかし、前作のネタバレは一切なく、前作の前日譚になっているため、本作から読んでも問題はない。むしろ、この『夏服~』を読んでから『消失~』を読んだひとの感想も聞いてみたいくらいである。

 

 途中までは精緻な描写が光る青春小説であり、“事件”が起こってからもその印象は続く。そのうちに現実と虚構の境目が曖昧になっていって、だから本当の惨劇が起こってもまだその状況の意味に気づけない。最後にはやるせなさの中にカタルシスも用意されている。かなり私好みの青春ミステリだった。

 

 その後すぐに読んだシリーズ第3作『冬空トランス』(角川文庫)もおもしろかった。樋口真由の物語の新作が出るといいなと思う。

 

 

 

5.天沢夏月『拝啓、十年後の君へ。』(メディアワークス文庫

 

 

 ある日突然、小学1年生のときのクラスメイトから送られてきた封筒には、10年後の自分へ向けた手紙を書いて埋めたタイムカプセルが入っていた。封筒から缶へ、缶から段ボール箱へ。形を変え、2年以上かけて彼らの間を巡り巡ったタイムカプセルは、やがて最後の1人の元へと辿り着き――。連作短編形式の青春群像劇。

 

 丁寧で素朴な群像劇にして、12年以上にわたって続いたある一途な恋の行方を追う恋愛小説でもある。思春期の彼ら1人ひとりが向き合う現実はまっすぐに澄んでいて、過ぎ去った日々がいとおしくなった。

 

 心が洗われる、という表現がこれほどぴったりくる小説もなかなかない。読み終えた後、全員の幸せを願った。私が天沢夏月さんの作品を読み始めるきっかけになった『七月のテロメアが尽きるまで』(メディアワークス文庫)と同じくらい好きな1冊になった。

 

 

 

6.西尾維新掟上今日子の設計図』(講談社

 

掟上今日子の設計図

掟上今日子の設計図

  • 作者:西尾 維新
  • 発売日: 2020/03/18
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 

 〈學藝員9010〉を名乗り爆破予告動画をウェブ上に投稿した犯人と、眠れば記憶を失う最速の探偵・掟上今日子の直接対決。忘却探偵シリーズ第12作にして1年5ヶ月ぶりの新作にふさわしいサスペンスフルな傑作長編。

 

 今日子さんの体質に加えて時限爆弾まで用意されているため、前作までになくタイムリミットを意識させられる展開で、手に汗握った。犯人にいつになく追い込まれる今日子さんと、ビビりながらも側に居続けいつにない活躍を見せる厄介という、名コンビのいつもとは違う顔が見られたのがうれしい。2人の絆を随所で感じた。

 

 眠ると記憶を失ってしまう体質のため事件を1日で解決しなければいけない白髪の名探偵と、冤罪をかけられやすい体質のため今日子さんに何度も疑惑を晴らしてもらっている男が登場する、ということさえ把握していれば、この巻から読んでもまったく問題ない。

 

 ところで講談社BOXはどうなってしまったのだろう、と気になった。

 

 

7.野﨑まど『タイタン』(講談社

 

タイタン

タイタン

  • 作者:野崎 まど
  • 発売日: 2020/04/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 

 これは、人間が“働かない”未来から鬼才・野﨑まどが贈る、われわれ人類へのギフトだ。

 

 あらすじを省いたのは、事前に内容を何も知らない状態でこの小説を読んでみてほしくなったためである。私はタイトルの“タイタン”が何を意味するのかも調べずに読み始め、想像力の限界よりも遥かに高い場所へ向けて駆け上がり続けるストーリーからすぐに目が離せなくなった。その興奮を他のひとにも味わってもらいたいという、これはただのわがままである。

 

 読み終えた今は、ずっと遠くの物語であると同時に、身近な物語でもあるのだと感じている。“働くこと”について、誰もが一度は悩むに違いないからだ。なんだかとても、救われた気がした。様々なひとびとにおすすめしたくなる長編SFだ。

 

 私の家に届いた『タイタン』からは、新しい紙の本特有の濃い香りがして、いとおしくなった。大好きな香りだ。

 

 

 

8.斜線堂有紀「神の両目は地べたで溶けてる」(講談社タイガ刊『小説の神様 あなたのための物語 小説の神様アンソロジー』所収)

 

 

 好きなものへの愛に正解や不正解はあるのか。マイナー小説家・水浦しずの熱狂的なファンである女子高生と、彼女に振り回される男の子の、小説への愛がたっぷり詰まったボーイ・ミーツ・ガール。

 

 1人の女の子に世界を変える力はない。どれだけ努力しても水浦しずが急にベストセラー作家になるわけではない。それでも、彼女の愛はどこかで報われていてほしい。彼の祈りが美しく響いて、泣きそうになった。また。タイトルがとてもよい。理不尽な目に遭ったとき口ずさむと勇気が出る気がする。

 

 2020年5月4日現在、こちらのサイトに全文掲載されている。エッセイ『荒木比奈を見つけた日、神の目がとろけた』もおもしろかった。気になった方はぜひ、ご一読あれ。

 

tree-novel.com

 

 

 

9.北山猛邦『踊るジョーカー 名探偵音野順の事件簿』(創元推理文庫

 

 

 ひきこもりで気弱な名探偵・音野順と、彼の性向を理解した上で何とかして社会との接点を作ろうとしている友人のミステリ作家・白瀬が依頼を受けて関わる、難事件の数々。名コンビのコミカルなやりとりとミステリの楽しみがふんだんに詰まった短編集。

 

 気の置けない2人のやりとりは狙っていないのにおもしろく、聞いていると微笑みが零れてくる。密室殺人に毒殺未遂、雪の山荘など、舞台設定はオーソドックスなのだが、トリックや発想が独創的かつおもしろいものばかりでどれも印象に残っている。

 

 音野は優しく、ひとの痛みに敏感で、真実を言い当てたとき傷つくひとがいることを怖がっている。白瀬は、それでも正しさを信じ、彼の背中を押してやる。とても好ましいコンビだ。シリーズ第2作の『密室から黒猫を取り出す方法』(東京創元社)もぜひ読みたい。

 

 

 

10.町田そのこ『52ヘルツのクジラたち』(中央公論新社

 

52ヘルツのクジラたち (単行本)

52ヘルツのクジラたち (単行本)

 

 家族に搾取されて生きてきた貴瑚は、大分の海辺の町に引っ越してきてすぐに、虐待を受けている少年と出会う。事情を知り、時間を共にする中で、2つの魂は徐々に共鳴し合う。やがて貴瑚がすべてを捨てて引っ越してきたきっかけとなった出来事が明らかになり――。苦しくて温かい長編小説。

 

 読んでいる間ずっと、暗い海の底で息をぽこぽこと吐きながら顔を上げて、射し込むかすかな光を見つめているような感覚がした。ストーリーは苦しかったけれど、文章や価値観は私に優しかった。52ヘルツのクジラというモチーフに、救われる思いがした。この物語を必要としている誰かの元に、まっすぐに届けばいい。そう願ってやまない。

 

 町田そのこさんの小説は、デビュー作の『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』(新潮社)から、4作目の『52ヘルツのクジラたち』まで、生と死への誠実なまなざしが印象深い、おすすめの作品ばかりである。本屋さんで見つけたら、ぜひ手に取ってほしい。

 

 

おわりに

  以上10作品の他にも、米澤穂信『巴里マカロンの謎』(創元推理文庫)や、萬屋直人『旅に出よう、滅びゆく世界の果てまで。』(電撃文庫)など、おもしろい小説を多く読んだ。別の機会に紹介できたらうれしい。

 

 5月には、杉井光が贈る青春音楽ストーリー『楽園ノイズ』(電撃文庫)や、佐野徹夜が描くタイトルがたいへん好みの新作『さよなら世界の終わり』(新潮文庫nex)など、楽しみな新刊予定がいくつもある。幸せだ。

 

 次の記事を書くまでに、本屋さんに行けるようになっていればいいな、と思う。

 

 

「名もなき花」を読んで感じたパーフェクトヒロインの幸福について

 

 日南葵の人生における最大の不幸は、彼女の中学校に雪ノ下雪乃桜島麻衣がいなかったことだ。誰もが認める高貴さや知名度を持ち合わせている少女たちと出会えなかったから、すべてを計算と努力で乗り越えてきたパーフェクトヒロインは、個人的な敗北を知ることができなかった。高校2年生になった今でも、知ることができない。だから彼女は、空っぽだ。

 

 日南葵は屋久ユウキ弱キャラ友崎くん』というライトノベルに出てくるヒロインの1人だ。成績が学年1位であることは当たり前、短距離走ではインターハイを狙えるほどの運動神経の持ち主で、容姿は端麗かつ華やか。スクールカーストのトップに燦然と位置しているにもかかわらず、気取らず親しみやすいキャラクターで誰からも愛されている。中学時代には女子バスケットボール部で部長を務め、県大会出場レベルだったチームを2年ほどで全国大会準優勝まで導いた立役者である。

  

弱キャラ友崎くん Lv.1 (ガガガ文庫)

弱キャラ友崎くん Lv.1 (ガガガ文庫)

 

  『弱キャラ友崎くん』は、主人公のぼっちで冴えない男子高校生・友崎文也が、とあるきっかけによってパーフェクトヒロイン・日南葵と同レベルのリア充になることを目指す、人生攻略ラブコメディである。2020年4月現在、このシリーズは本編8巻と短編集2巻の計10巻が刊行されている。累計発行部数は100万部を突破し、アニメ化も決定した。人気のラブコメが次々に生まれているガガガ文庫を代表する作品で、年に1度の投票企画「このライトノベルがすごい!」では8位(2017年度)→7位(2018年度)→3位(2019年度)→3位(2020年度)と刊行当初から絶えることなく上位入賞を果たしている。

 

 そもそも私がこのシリーズに興味を持ったのも、「このライトノベルがすごい!」で連続入賞していたことがきっかけだ。異世界転生ものがいちばんの人気ジャンルになっている数年のあいだはあまりライトノベルの新作を手に取っていなかったのだが、2019年になってひさしぶりに学園ものの波が来ていると知り、筆頭作品を読んでみたくなったのだ。いくつも気になっている作品がある中で最初に購入したのがこのシリーズの1巻である『弱キャラ友崎くん Lv.1』だったのは、かの名作、渡航やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』(アンソロジーも好評発売中)を刊行しているガガガ文庫の作品だったからというのが大きい。安心と信頼のガガガ文庫である。

 

 

  1巻で友崎は当の日南の完全プロデュースの下で“人生の課題”に挑んでいく。初期の課題は「顔とお尻の筋肉を鍛え表情と姿勢をよくする」「自分の声を録音して会話の練習をする」といった家でできるものから始まる。次に、友崎が慣れてくると、「1日に3回以上女子と会話する」「クラスメイトとグループで下校する」「自分でクラスメイトを遊びに誘い計画を立てて相手を楽しませる」という風に課題を達成するハードルが徐々に上がっていくのである。

 

 このシリーズの初期のおもしろさは、友崎の成長にある。学校でほぼ誰ともコミュニケーションを取ることができなかった友崎が、テクニックを覚え相手の特徴や好きなことを知っていくにつれて、いわゆるリア充グループの生徒とも会話が続くようになったり、楽しんで遊べるようになったりする。クラストップリア充・中村との対決を終えた友崎に、日南がささやかなご褒美をくれる1巻のラストまでの展開は、とても楽しいものである。その後も、生徒会選挙に合宿に文化祭と、7巻まではノンストップで、悩みもあるけれど楽しい展開が続いていく。夢中になってひと月と少しで読み終えてしまった。2019年の春の話だ。

 

※この先の文章は『弱キャラ友崎くん』の日南と友崎の関係の現時点までの展開のうっすらとしたネタバレを含みます。未読の方はご了承の上お進みください。

 

 友崎の成長と並行して見えてくるもう1つのおもしろさは、日南と友崎の対比だ。すべてのタスクをこなすハイスペックの持ち主である日南を、友崎は心の中で“魔王”と呼ぶ。3巻では課題だけを淡々と提示する日南と友崎の方針が食い違い、友崎はすべての課題を「楽しみながら」こなした上で日南と同程度のリア充になることを目標にする。なぜならば、師匠の日南自身はパーフェクトヒロインでいることを少しも楽しんでいないからである。

 

 1巻の時点で明かされることだが、日南葵は友崎をプロデュースするために一から課題を考えたのではない。友崎がこなしていく課題は、すべて中学1年の日南が達成してきたものだった。彼女は生まれたときからパーフェクトヒロインだったわけではない。顔はかわいいほうではあるが目を瞠るほどの美少女というわけではないし、中学入学時の成績はいたって平均的だった。

 

 しかし、中学1年生のある時期から、彼女は変わった。表情や姿勢、声のトーンやささいな仕草にまで気を配って家ですべてを練習し、ナチュラルメイクの研究を欠かさず、努力して成績を伸ばしコツを掴んでからは学年1位を維持した。バスケットボールの練習にも励み、スパルタと優しさの緩急を付けながら部員たちを励ました。そして受験に合格し、県内では成績上位の部類に入る私立高校に入学してからも、人心掌握の術を身につけ弛まぬ努力を続けている日南に勝利できる同級生は現れなかった。挑んだ友人はいたけれど、日南より秀でることは難しかった。

 

 友人との会話で癒されたり、目標を達成して喜んだりすることはあるだろう。チーズ料理を食べたり、オンラインゲームに没頭したりする日南は楽しそうに見える。しかし、チーズ料理に我を忘れるほど興奮気味に食いつく日南は、友崎にそれも1つの親しみやすさのための演出なのだろうと分析される。ゲームに関しては楽しむことよりもまずは1位を獲ることが目的だ。そんな日南はあるとき、事情を知らない1人のヒロインから間接的に、空っぽに見える、と告げられる。これがパーフェクトヒロイン日南の、ほとんどのひとが知らない影である。

 

 日南葵がそうなるに至った背景としては家庭環境が示唆されている。日南の核に迫っていくであろう今後の展開が楽しみなシリーズであることに間違いはないのだが、ここでは真実が明かされる前に、彼女が抱える空虚さの理由を語りたい。冒頭で言ったことを今一度繰り返すと、すべてを計算と努力で乗り越えてきたパーフェクトヒロインの最大の不幸は、これまでの人生で、自分より圧倒的に優れている人物と戦って敗北する経験を味わえなかったことである。

 

 日南葵の基本スペックは、他のライトノベル作品のヒロインよりも低く設定されているように思う。運動に関しては類まれなる素質があったようだが、学力と美貌に関しては、小学生の頃から頭角を現していた、ということはまったくない。対して、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』ヒロインの雪ノ下雪乃の小学生時代はどうだろう。小学校高学年のときには目立ちたい女子のグループから排斥されていた、というエピソードは1巻で語られるものである。詳しく語られることはなかったが、4巻以降の、幼なじみ・葉山隼人の後悔を聞くと、クラス全体からつまはじきにされていた可能性まで出てくる。出る杭は打たれる。頭脳明晰で家柄もよく何でもできて、何より圧倒的にかわいいという雪ノ下雪乃は、そのハイスペックさによって疎まれた経験が心に壁を築き、その結果、高校2年生になるまで友人を作ることができなかった。

 

 一方の日南葵は、中学1年生のある時期までは普通に生きてきた。それなのに2年後には、学年1位に君臨し続け、バスケットボールの全国大会でチームを準優勝にまで導いた。もちろん、もともとの素質があったのだろうと推測できる。しかし、日南の急成長を阻む同級生は1人もいなかったのだろうか、と思うと少し悲しくなる。

 

 私は埼玉県の中学生事情をまったく知らないが、少し口コミを調べてみたところ、小学生のうち4分の1ほどは私立中学に入学するらしい。つまり、頭のいい子どもが抜けた後に、ほどよく勉強ができる同級生が残っていたと考えると、効率よく努力した日南がトップに躍り出ることも十分に可能だろう。

 

 バスケットボールに関しても、最初は一公立中学が全国準優勝できるものなのか、と疑問を抱いたものの、少し調べるだけで埼玉県の公立中学校は何度も全中優勝を果たしているとわかった。日南の中学にももともと優秀な指導者やプレイヤーが集まっている環境があって、日南が部長として活躍し練習を強化することで準優勝まで辿り着いたのだろう、と補完すると、不自然なことではない。

 

 だが、たとえば彼女の出身中学に前述の雪ノ下雪乃がいたならば、日南葵は学力で1位にはなれなかっただろう。たとえば彼女の出身中学に鴨志田一著の青春ブタ野郎シリーズのヒロイン・子役女優の桜島麻衣がいたならば、日南葵は本物の有名人とはどういうものなのか理解しただろう。他にも、たとえば彼女の出身中学に西尾維新著の物語シリーズのヒロイン・恐るべき脚力を誇る神原駿河がいたならば、ひょっとしたら部が誇る名コンビとして全中優勝できたかもしれない。つまり、私が言いたいのは、日南葵はあの『弱キャラ友崎くん』の世界観だからこそ常にいちばんでいられるということだ。

 

 

  日南葵は、1位を獲らなければいけないという半ば強迫観念めいたものに囚われている。その考えには中学1年生のときに起こった、未だ小説の中では明かされぬ”何か”が関係している。だからだろうか、日南は高校進学のときにも、県内トップの進学校に入学することはなかった。

 

 日南と友崎たちが通う私立関友高校は、“県内では上位の私立だが、進学校と比べると中途半端な立ち位置”とされる。何がどう中途半端なのかは忘れてしまったのだが、この文脈だと学力的に中途半端ということだろう。すっかり忘れてしまっていたこの情報をWikipediaで見たとき、私は不思議な気がした。なぜ日南葵は県内トップの私立高を目指さなかったのだろう、と。1位を目指すパーフェクトヒロインは、そうあらねばならぬのではないか? ちなみに、関友高校の校章のモデルになったとされる噂される開智高校は、埼玉県内で1、2を争う偏差値の高い私立高校である。実績からみても進学校でないはずはない。ではこの、関友高校の”中途半端”な立ち位置は、何を意味しているのだろうか。

 

 初めに思いついたのは、バリバリの進学校として設定してしまうと融通が利かなくなるからかもしれない、ということだ。県内トップの進学校は、絶対に授業が難しくて予習復習が大変である(と思う)。毎日放課後に集まったり頻繁にバイトのシフトに入ったりすることが難しいとなると、主人公とヒロインの設定からして等身大のリアリティを求めるこのシリーズではキャラクターが動かしにくくなってしまう。それよりも、学力上位ではあるが進学校というほど進路指導に力を入れていない高校という設定にしたほうが、学校生活以外の面が描きやすくなる可能性が高い。

 

 日南葵の全国模試での順位はどれほどなのだろう、という疑問はそれに付随して生まれたささやかな関心事である。他のトップ校には勉強だけに心血を注いでいる高校生たちが何百何千といるはずで、関友高校内でトップであることは必然だとしても、全国レベルで見れば日南は1位ではないはずだ。それに日南が落ち着いていられるだろうか。だって日南は一度全国を相手に戦ったことがあるのに。もちろん、学力は評価の一面に過ぎない。インターハイ出場かつ偏差値高め、というだけでも日南の努力は十二分にうかがえる。だからこそ、日南がどこで線を引いているのか、ということは気になってくるのである。(ちなみに余談ではあるが、これまで読んできた小説の中で間違いなく全国模試総合1位だと確信できるキャラクターは、物語シリーズのバサ姉こと羽川翼だ。彼女に対する描写は飛びぬけている。)

 

 日南葵がどこで線を引いているのか、を考えたときに浮上した、関友高校が進学校として設定されていない2つ目の意味は、日南葵は1位を獲れる場所にしか行けなかったのではないのではないか、という、少しだけ悲しくなる推察だった。それは、物語上の要請においてなのか、それとも日南葵の判断なのか。もしかすると、彼女が関友高校に入学した理由が語られた箇所があったかもしれないのだが、よく覚えていない。学業と部活動を両立しながら、放課後の友人との交流やゲームの鍛錬、そして人心掌握の努力まで、すべてをこなせる場を選んだのかもしれない。日南葵が自分のことをよくわかっていてそう選んだなら、彼女は気高い。けれど、そこに彼女の意思が介在しないのであれば、それほど悲しいことは他にない。

 

 『弱キャラ友崎くん』と、これまで引き合いに出した『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』や青春ブタ野郎シリーズ物語シリーズとの最大の違いは、アイドル的ヒロインの不在にある、と私は考える。日南葵だけでなく、七海みなみも菊池風香も泉優鈴も夏林花火も成田つぐみも、親しみやすいキャラクターだ。ここでの親しみやすいには、2つの意味がある。1つは、平凡な主人公が日南にアドバイスを受ければ簡単に近づいていける、という意味。もう1つは、読者の身近にいてもおかしくない、という意味だ。しかし、雪ノ下雪乃由比ヶ浜結衣も、比企谷八幡にとっては最後まで話すのに覚悟がいる女の子だし、その辺にはいない特別な女子高生だ。桜島麻衣や牧之原翔子は、一方は芸能人、もう片方はかつて出会った憧れのお姉さんと、梓川咲太や読者にとってはいつまでも貴い存在だ。戦場ヶ原ひたぎ羽川翼キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードに関してはもう言うまでもない。キャラクターと言い名前と言い個性が炸裂している。この3作品のメインヒロインズに対して言えることは、主人公にとっても読者にとっても、どこか遠い、憧れの女の子であるということだ。

 

化物語(上) (講談社BOX)

化物語(上) (講談社BOX)

  • 作者:西尾 維新
  • 発売日: 2006/11/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 

  『弱キャラ友崎くん』のヒロインの魅力は、そこにはない。彼女たちは遠くない。ナチュラルメイクが上手くて文武両道のクラスメイトくらいならいそうだし、気さくに笑いかけてくれるちょっとポンコツな美人くらいならいそうだし、本が好きでおとなしいかわいい女の子くらいならいそうだし、ギャルっぽいけれど実は一途な明るい美少女くらいならいそうだし、ちょっと変わっていて小柄な女子生徒くらいならいそうだし、馴れ馴れしくしてくるアルバイト先の後輩くらいならいそうである。そもそも、美貌や体形はこのシリーズにおいてさほど行数を割いて描写されない。フライ先生の挿絵を見れば、かわいい子たちであることはわかるのだが。

 

 つまり『弱キャラ友崎くん』において、ヒロインはアイドルの座から引きずり降ろされた。圧倒的ヒロインを努力次第で他のひとも目指せる普通の女の子にした。その結果として、日南葵はパーフェクトヒロインにもかかわらず「このライトノベルがすごい!」女子キャラクター部門で2年連続トップ10にランクインしている七海みなみより遥かに下の順位に甘んじている。日南推しの私としては残念な結果だ。

 

 8.5巻刊行時点では、友崎は日南に気がある素振りを一切見せないし、逆もまたしかりである。日南の過去に触れることは示唆されているものの、触れ終わったときに日南と友崎が恋愛関係になっている想像はまったくわかない。だって2人は、師匠と弟子の域を出ない関係性だからだ。2人が対等になるとしても、それはゲーマーとしてか、ゆくゆくは校内トップクラスリア充としてでしかない気がする。1巻の表紙のヒロインなのに日南に人気がないのは、そういった理由からだと推測される。

 

 『弱キャラ友崎くん』において何よりも重視されていると感じるのが、リアリティだ。ヒロインにも主人公にも、努力次第で誰だってなれる。そのための方法は、すべて小説の中に書いてある。友崎と同じ課題をこなして新たな自分を目指す「友崎くんチャレンジ」に挑む読者の姿はSNS上で散見される。このシリーズを読んでチャレンジする読者はきっと、以前の自分に思うところがあったひとたちだろうから、努力して目標を達成するのは素敵なことだと思う。その後押しにこのシリーズがなれていることも、ヒットの要因ではないかと思う。もちろん、思うところがあっても行動に移せない読者もいて、そんな読者は友崎を応援したりヒロインを愛でたりして楽しめるようなストーリーになっている。

 

 でも、努力しても、倒すべき強敵がいないのであれば、空っぽになる。友崎のように何事も楽しめる素質がないと、どこかでむなしくなる。目標を達成して、その後、日南と友崎は幸せになれるのだろうか。かつて先人たちが願い焦がれた本物を手に入れられるのだろうか。それとも、本物の幸せのことなんて微塵も考えずに、大人になっていくのだろうか。物語にこの世界で誰も見たことのない甘くて優しい何かを求めるひとは、どんどん減っていくのかもしれない。だが、日南より七海みなみに魅力を覚えるひとが多いうちは、まだその日は遠いだろうとも思う。結局のところ、努力は才能に勝てないのだろうか、そんな戯言を考えてしまう。

 

 私はきっと、信じていたい。物語の登場人物はどこか遠くにいて、青く煌めいているのだと、そんな世界がどこかにあるのだと。身近でなくていい、天上で輝いていてほしい。現実みたいな物語よりも、物語みたいな物語を見ていたい。甘くてほろ苦い青春を送っていてほしい。そして、それに憧れていたい。だってそのやりかたしか知らないから。これ以上置いていかないでくれ、としがみつくしかないのだから。

 

 友崎文也はこの先、比企谷八幡梓川咲太や阿良々木暦と同じレベルの挫折を味わうことはないし同じレベルの犠牲を払うこともないだろう。友崎は彼なりに人生を謳歌していく。そして日南葵はこの先、雪ノ下雪乃桜島麻衣に打ち負かされることはたぶんない。だって彼女はパーフェクトヒロインだからだ。日南は彼女なりに1位を獲り続けていく。ファンの読者にとっては、その身近な青春が輝く青なのだろう。けれど私にとっては違う。日南葵という努力家でかわいくてかっこいいヒロインを、その場所から引きずり出したいとさえ思う。雪ノ下雪乃桜島麻衣を倒して、本物の1位を獲らせてあげたいと思う。空っぽでなくしてあげたいと思う。私は『弱キャラ友崎くん』の読者で、日南葵のファンだからだ。

 

 日南葵に幸せな結末が訪れることを、本心から希っている。

弱キャラ友崎くん Lv.8 (ガガガ文庫)

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